【アグリッパ】後継問題

「だから、彼にはぜひとも僕と跡継ぎをつくってもらわなきゃいけないんだ」
と、普段どおりの柔和な笑顔で言い切った弟にオクタウィアが絶句させられたのは、数瞬のことではあった。

 

彼女が弟の発言や行動に振り回されるのは昔から珍しいことではなく、特に大叔父ユリウス・カエサルが彼を自身の後継者として扱い始めてよりは、その唐突もなさに、さらに拍車がかかっているような印象だ。
それにしてもこれはどう対処したらいいものだろうか。
弟は賢い子供だ。
否、16歳という年齢からすればもはや子供として扱うべきではないのだろうが、生来虚弱児であり、ちょっとした環境の変化でも体を壊しては寝付くことの多かった弟は、オクタウィアから見ればまだまだ頼りなく自身が庇護すべき存在としての認識が強い。
今もそう、先週頃からめっきり寒くなった季節の変わり目に引いた風邪をこじらせて寝台に横になっている身なのだ。
せめても体を温めるのがよいと葡萄酒をお湯で割ったものを手渡しながら、
「こんなんじゃ大叔父様の後を継ぐなんてとうてい無理じゃなくて?」
と冗談口を叩いた……つもりだったのだが。
 
「ええとね、オクタヴィウス……」
同年齢の青年たちと比べても線の細い体つきの弟は、黙っていれば美青年だ。
体が弱いというハンデを負っていても女性たちからの受けはいい。
しかるに反面、同性の友人は少ない。
この年代は特に、学よりも武を重んじる傾向が強いから、剣術も体術もからきしの弟はややもすれば馬鹿にされがちだ。
それでいてローマにおける最大の英雄・大カエサルにはなぜか気に入られている。妬まれ距離を置かれても不思議はあるまい。
カエサルはそんなオクタヴィウスの境遇を知ってか知らずか自身の腹心だの友人だの政敵だのに次々と彼を紹介し、自然と弟の交際範囲は彼より年かさの大人たちばかりになってしまった。
せめても、同年代の青年たちとまっとうな友人関係を構築していれば、年齢相応の好奇心や冒険心から知ることになる大人への階梯を、きちんと踏んでいたに違いない。
そうと思えば私も悪かった。
弟とはいえ異性のこと、まして大叔父の引き立てがあるのだからとそちら方面の知識や手ほどきなどとうに済ませられていると思っていたのだ。
頭もいい子だから実体験がなかったとしても書物から得られる知識だけでも十分に理解しているはずだとも。
なのに思わぬ落とし穴。
今さらになってこんなことを、教えてあげなければいけないなんて。
 
「どうしたんだい、姉さん。さっきから青くなったり赤くなったり。もしかして僕の風邪が移った?」
手渡された杯に口をつけながら、オクタヴィウスは自身の発言などもう忘れた風だ。
いけない。
このまま間違った知識で大人になったりしたら、まして彼のほとんど唯一の親友に距離を置かれるようなことになりでもしたら。
虚弱で線の細い弟とは対照的に、野性味溢れる引き締まった体躯と、健全そのものの精神を持つ黒髪の彼を脳裏に思い浮かべ、オクタウィアは意を決して口をひらいた。
「あのね、オクタヴィウス……いくら貴方がアグリッパが好きでも……、その、彼に子供を産ませることは、できないのよ?」
「え?」
彼女の発した一言が、果たして弟の心を打ったようには見えない。
「だからね、ええと、彼は男で。貴方も男だから、その……」
「何を言ってるんだい姉さん。当たり前じゃないか」
聡い弟は、ようやく彼女の言わんとしていることを悟ったようで、呆れたような言葉が返ってきた。
「いくら僕だって、子供を産めるのは女性だけだということぐらい、理解しているよ?」
「あ、あら、そう……なの…?」
拍子抜けしたような彼女の返答に、弟は馬鹿だなあ、と笑って杯を置く。
「え、でもそれなら、なんで……」
跡継ぎ云々に彼の名前が出てくるのか。そんな姉の疑問に返ってきた答えは、さらにさらに彼女の誤解の斜め上をいくような発想だった。
 
「だって、姉さんの言うとおり、僕は決して丈夫な方じゃないからね。
そりゃあ、僕だけならいいよ。大叔父様の後押しと、彼の補佐があれば、次の代の終身独裁官になったって僕は結構うまくやれると思うんだ。
でもさらにその次の世代のことを考えるならね、もっと頑丈で健康的な血を入れる必要がある。その点アグリッパは理想的だ。体は丈夫で真冬にトゥニカだけで走り回っても風邪ひとつ引かないし、食べ物の好き嫌いはないし、僕にはない将才やどんな無能で愚かな人間でもそれを受け入れて役に立たせる度量もある。僕の頭と彼の体と人望が揃っていれば、それはもうローマの為政者としてはおよそ理想に近い人間になると思わないかい?」
 
だから、ぜひとも、彼と自分の血を引く子供を作りたいんだ、と弟は結ぶ。
(…………だからどうやって!? )
再度、絶句した彼女だったが、その次の瞬間、
「オクタヴィウス! 風邪を引いたって!?」
とタイミングよく飛び込んできた当の親友アグリッパのおかげで、その答えを追求する機会は、永遠に失われた。
 


 
ちなみに上記の問題に関しては、実際、もうちょっとで実現可能なところまでいっておりました。
どうやってって、こうやって → http://ja.wikipedia.org/wiki/マルクス・ウィプサニウス・アグリッパ (wikipedia)