【GUNDAM SEED】恋愛欠乏依存症 

目の前に山と積まれた決済待ちの紙束はもはや見慣れた光景だ。
厚さ15cm。
動じもせずに頭の片隅で計測してしまう自分に、アスランは思わず苦笑する。
何でも数値化してしまうのが自身の性癖とはいえ。

オーブ国防軍統合作戦本部付准将。
アスラン・ザラの現在の肩書はそういうことになる。
具体的に何の役職なのかといえばこれがはっきりしない。
戦時においては旅団長クラスの指揮権を得るが、平時では参謀本部に名を連ねる程度。
後は政治会談やら軍事訓練やらが突発的に発生する都度、役割が割り振られたり振られなかったり。
もともとが准将位自体、「一般人」の「英雄」キラ・ヤマトの扱いをどうするか、という問題に端を発する超法規的な臨時処置として設定された代物だ。
キラがプラントに、自身がオーブに。
それぞれが選んだ人生の指標を追い、トレードのように生涯の地を変えた二人は、その待遇もやはり入れ替わりのような形で用意されていた。
(さすがにもともとが軍属でないキラは、ほとんどラクス―現在のプラント評議会議長―の護衛役、という扱いではあったが。)
 
とはいえ、戦時であったかつてならばともかく、和平条約から10年を経た今、末席といえど将官クラスに名を連ねる彼は、そこそこに多忙を極める。
というか、平時だからこそ雑多な用に忙殺される、というのが正しいのかもしれなかった。
 
警戒態勢レベルに応じた組織編制と装備計画の立案、情勢を鑑みた仮想敵(オーブにおいてさえ!)の情報収集、新開発の兵器に関する視察と検証、新兵の訓練、未だ蠢動するテロ組織への対応、ひっきりなしに行われる政治会談での警護……。
実務レベルにおける彼の准将、という地位は下っ端すぎもせず、偉すぎもせずといった具合で実に使いまわしやすく、しかもその上本人が有能だったので(翻っていえば器用貧乏だったので)、ひとつずつ積み重ねられてはあっという間に層をなす紙束と同じく、その職責も知らぬうちに飛躍的増加を遂げていた。
 
( けど、仕事が多いのは、逆にありがたいかな。 )
 
出かける前は確かに空にしていった書類箱の中身を、ひとつひとつ確認し、判断し、サインする。
時に電話をかけ、時に部下を呼び出し、時に上官に掛け合い、といった作業はほぼ3時間で終わりを告げた。
約15cm:180分。割り算すれば1.2分/1mm。
 
( 紙の厚さって、どのくらいだっけ… )
 
そんなことに思い当たる程度は暇な時間。
わずかの休息すらもてあます彼は、返ってきた書類を抱えて動き回る部下たちの、驚異と賛嘆とやや恨みの混じった視線に気づいていない。
だって今日は花の金曜日。
軍においては週休2日など保証の限りではなかったが、それでもなんとはなし心浮き立つ週末の夜なのだ。
仕事も片づけてさあ飲みにでも・・・と思った矢先、手放したと思った仕事がリターンで返ってくれば持ち上げた肩を落としもする。
アスラン・ザラは今日中に処理しろ、などと無茶ぶりする人間ではないが、有能でしかも職務熱心、という休日前の部下にとってはややはた迷惑な上司ではあった。
結局、その後は急な呼び出しも決済すべき書類も来ず、スケジュール通りに仕事が終わってしまった彼はおとなしく帰途につくことにした。
  
彼の宿舎は軍本部からエアカーで20分ほどの高級士官用アパートメントだ。
どうせ独り身だし、食堂もあるし、と最後まで一般兵卒用の宿舎に居座り続けた彼に、総務部が最後通告を突きつけたのは半年前。
将官クラスともなれば政治的な付き合いもあるし、一般の兵士が肩身の狭い思いをするからと説得され移住を余儀なくされた。
住居としては街中にも近く、はるかに高級なのだろうが、はっきりいって彼は困っていた。
 
( 広すぎるし、食事には困るし、人付き合いも面倒だし。 )
 
実家はもっと広かったんだろうに、と上官であるキサカには呆れられたが、そもそも彼はわりと早いうちに士官学校に入って軍属してしまったので、寮暮らしのほうがはるかに長いのだ。
狭くても、贅はなくても、寮であれば三度三度の食事はきちんと出た。
なのに今は自炊するか、わざわざ出かけなくては食べるものにもありつけない。
政治家の家系に生まれて人付き合いが面倒なのか? とも言われた。
誤解してもらっては困るが、政治がらみでの付き合いはいわば仕事の一環だ。本心を隠して愛想をふるくらい小学生のうちからやっている。
この場合の人付き合い、というのはつまり・・・
 
「まあ、アスランさん。今日は早いんですのね」
 
狙って出てきたのか、といわんばかりのタイミングでかけられた背後からの声に、アスランは心中ため息をつきながら振り返った。
 
「こんばんは、ルジュヌ夫人。お出かけですか」
「あらいいえ。偶然ですわ。」
 
偶然だからわざわざ扉を開けて挨拶しにでてきたのか。
などと問いつめるだけ愚かだということは熟知している。この夫人のおしゃべりにつきあうとうっかり部屋の中に連れ込まれかねないことも。
 
「そうですか」
では、ときびすを返す間もなく、夫人は言葉を継ぐ。
「久しぶりにお顔を拝見しましたわ。お食事はもうすまされまして?」
ここでまだですと答えようものなら飛んで火にいるなんとやらだ。
「ええ。帰りにすませてきました」
そつなく、けれど誤解を生まぬよう見事に調整された微笑みで彼は答え、今度こそ自室の中に逃げ込んだ。
 
( こういう意味での人付き合いがいやなんだよ… )
 
プラントにいた頃は父の庇護とラクスという予防線がいたため、ここまで露骨な誘いを受けることはなかった。
軍属での女っけのなさは言わずもがな。
ある意味世俗にまみれず生きてこられたかつてとは違い、このアパートメントに移って以降、この手の誘いはひきもきらない。
町内会の集まりだのアパートメントの共同清掃だの、何かにつけて彼に声をかけてくるのはきまって妙齢の女性ばかりだ。
 
『おまえ、もてるだろう』
 
とかつて恋人にいわれた台詞に、そんなことないよ、この程度の顔はコーディネーターなら珍しくないからと半ば本気で答えていた頃が懐かしい。
 
( 迷惑なんだって、ほんとに。 )
 
どうやら自分は色恋沙汰には向かない人間らしい、ということはわりと早くから気づいていたことだった。
士官学校時代から、友人知人たちが興じる最近できた彼女の話やら新しくデビューしたアイドルユニットが可愛いだのそういった話題についていけた試しがない。
まあ、おまえには美人の婚約者がいるもんな、と周囲は好意的に解釈してくれていたが、実際どの女性のホログラフを見せられても心が動くようなことはなかったのだ。
 
『この娘、かわいーと思わない?』
 
と言われたところで、写った集合写真のどの娘のことを言っているのかもわからない。
ラクスのことも、一般的な審美眼の結果として美人の範疇だと理解していても、だから心が浮き立つ、というような感じではなかった気がする。
十代の頃はそれでもまだ、かまわないと思っていた。
いずれ成長するに従って身につけていけばいい感情の一つだと。
或いはそうならなかったとしても、ラクス・クラインと穏やかで幸せな家庭を築くのには何の支障もなかろうと。
 
( つまり、向いてないってことなんだろうな。 )
 
激しい恋愛、などというものにうつつを抜かすような自分など想像もできない。
二十代も終わりに近づこうという今にして、そんな境涯に達している。
食事に出るタイミングを失したまま、明かりもつけずベッドに寝転がって。
食欲はさほどある方でもないからもういいかと放棄してしまえば、後は睡眠欲だけ。
仕事、食べる、寝る、ここ最近この3つしかしていないことに気づいて、彼は苦笑した。
 
( それもこれも、みんな君のせいなんだからな、カガリ )
 
いつからこんなに生きることに淡泊になったのか、眠ろうとして眠れず思考のループに陥ると知りながら彼は蜂蜜色の髪と夜明けの色の双眸を脳裏に映し込む。
もともと自分は何か一つのことに執着するようなタイプではない。
そういう風に育てられたし、彼自身、そうだと思っていた。
それでも昔はもう少し、欲しいと思うもの、したいと思うことがあった気がする。
些末なことでも具体的に何が好きとかこれは苦手とか。そういう主張も少しはしていたと思う。
たとえばこんな週末の夜に友人と連れだって飲みに出かけたりしたことも―半ば無理矢理連れ出されていたとはいえ―あった。
  
窓の外に目をやれば薄いレースのカーテン越し、ネオンに彩られた街が週末の夜の賑やかさを主張している。
だが、この部屋は静かだ。外の喧噪は高価な防音設備に遮られ彼の元へは伝わってこない。
守られているのか放置されているのか。
世界の片隅で彼ひとり、ひっそりと存在して。
孤独かと言われればそうなんだろう、と客観的な自分が返すだけ。
寂しいかと言われれば、いいやと意志の自分が返すだけ。
孤独は状態だ。感情じゃない。
そして今、今の俺は。
 
( 充実はしている。満足も得ている。他に、なにが? )
 
やるべき仕事があり、相応の評価と収入を得て、体を休める場所もあって。たまに連絡を取り合う友人たちは気心の知れた仲で。
 
その上で、色恋沙汰? なんて面倒な。
 
そう思ってしまう時点で、恋人や伴侶など持つ資格はあるまい、と彼は思った。
 
( だからやっぱり君のせいなんだよ、カガリ )
 
おまえ、ほんとにそれでいいのかよ!
彼女が今の自分の有様を見たらきっと怒るだろう。その様を想像し、彼は口元をほころばせる。
独りの部屋にかすれたような笑い声が響き、自分の笑った声など久々に聞いたと彼はそのことに驚いた。

 
 
この部屋に彼女を偲ばせるものは何も置いていない。

かつての軍宿舎ならともかく、このアパートメントは一般人も住んでいるいわば借り上げのものだ。万が一にも誰かに見られたら。そう思って引っ越すときに彼女を連想させるものはすべて処分した。常に身に付けていた守り石は軍服の内側に縫い込んで決して人目にさらさぬようにした。
思い出の品を見て感傷に浸るような年でもない。
そんなものに浸る暇なく仕事はやってくるし、本人とだって3日に1度は会っている。
―仕事の上で、という意味でだが。
今でも交友は続いているし、二人きりになれば親しくファーストネームで呼び合う仲だ。
共通の友人たちが訪ねてくれば私的な食事会などにも参加している。
 
ただ、プライベートに二人きりで会うことは、無意識下で、避けていた。
 
それが、いつの頃からかはわからない。

だが、それが自分からだ、と彼は思っていない。
避け始めたのは彼女の方からだ。その気配を感じ取ったから、彼は身を引いた位置に自分を置いた。
彼女が悩み、苦しみ、あがき、挫折し、また立ち直り、そうして成長を繰り返していくのを目の当たりにしながら、彼は彼でどんな仕事も引き受けて、自分ができることを増やしていった。
 
( たぶん、彼女は俺より余裕がなかった。 )
 
なんでも器用貧乏にこなす自分と違って、カガリは面倒でも不器用でも自分の意志で信じた道を選ぶ。
あのころの彼女は、その意志すら揺らがせずにいるのが精一杯で、だから彼女を甘やかす彼がいてはならなかった。
 
( 精一杯やってることで、息を抜け、なんて無理なんだよな。 )
 
たまには有給消化して遊んできたら、と部下に言われて憮然とした自分と彼女は、たぶん同じ人種だ。
 
だって好きでやってることなんだ。
それで休むって?
 
ようするに、仕事人間。
だけど、それのなにが悪い?
 
そう開き直る人間に、つける薬などない。
 
彼女が自分を避け始めたことについて、だから彼は別段恨んでいない。
 
無理はするなよ、と思うことはあったけど。
自分が心配せずとも彼女の面倒を見る人間は山ほどいる。それこそスケジュールの調整から体調管理まで、プロフェッショナルが首を揃えて万全の体制を敷いているのだ。一食の面倒さえ迷う彼とは違って。
彼にできることはといえば、自分の居場所で彼女の負担を減らすことくらい。
 
( だから俺のことはいいよ。俺は俺でやってるから。 )
 
たぶん、このまま、そうずっと。
君なしでいろと言われたら、このままで。
 
( 仕事。食事。寝る。たまに君の顔を見る。 )
 
この繰り返しで、たぶん最初の一つがいちばん比重が高くて。
 
( でも、他、はいらない。)
 
君のいない場所を誰かで埋める、そんなことは想像もできない。
 
自分の中にあったなけなしの情熱はほとんど全部、彼女が持っていってしまった。
あれが最初で最後の―――彼の中の彼らしからぬ部分のすべて。
 
恋、と呼ばれる激情の、すべて。