たまには静香も連れてってあげようよと、と忠実な弟が言うので、彼もつい情にほだされた。
間違いの元だったと、後で大いに後悔したが。
彼女に関しては、猿でも学習するくらい「つい」とか「仕方がない」とかが多いことを、彼はやっぱりなぜか学習していない。
要するに「ナントカは人を愚かにする」ということなのだが、そのナントカが自分にあてはまるなどとは彼は絶対に、天地がひっくり返っても、気付きたくなかったので気付いていなかった。
そのあたり、彼の脳内回路はとても都合良くできている。
――――――――「私は台風と結婚した。」
文豪ヘミングウェイ
災難はいつも人の形を取って現れる。
彼にとっての局地災害初認定者はいうまでもなくこの男である。
「ハロー海馬ボーーイ!!! 今日もいいお天気デスネーーー!!!!」
天気がいいのは貴様の頭の中だと心中、悪態をつきながら、目の前でにこにこ笑っているペガサス・J・クロフォードに海馬瀬人(18歳)は無敵の鉄面皮で答えた。
「ペガサス卿。今日も楽しそうで結構なことですな」
「イエーース! 今日はファニー・ラビットの最新巻の発売日なのデーース」
お笑いウサギのマンガがなんだと?
アメリカトゥーン協会からクレームがきそうな感想を抱きながら、このオタ○野郎、とさらに差別用語をつけ加えて、彼は上機嫌に先を歩くペガサスの背中を心の中で100回ほど蹴りつけた。
認めたくもない忌々しい事実だが、この男は一応アメリカ、いや世界のアミューズメント業界においては超がつくVIPである。
M&Wの生みの親であり、インダストリアル・イリュージョン社の名誉会長。
だが、一見お飾りのように思えるその称号の裏で、実質的に今でもアイ・ツー社を取り仕切っていることは、この業界の関係者なら誰でも知っている。
なんとなれば役員以下一同全て彼の子飼いの部下である。
ペガサス・J・クロフォード「卿」。
貴族称号を持つ、イギリス貴族の末裔。だがれっきとしたタイトル・ホルダーである彼の祖先がアメリカに渡った理由はただ一つ。臑に傷持つような始末の末である。そして移民後、女と賭博でのしあがった。今でもべガスにアメリカ有数のカジノを有するクロフォード家は、つまりは裏の顔としてはマフィアの一族だ。
そんな家業を嫌って若い頃絵描きになりたいなどと言っていたこのボンは、婚約者の死後、あっさりと業界人になりきった。
この男の上っ面一枚下に、冷徹なイギリス貴族のリンパ液と冷酷なギャングの血がしっかりと流れていることを、海馬瀬人はいやというほど知っている。
結局、日本でもアメリカでも、娯楽産業は裏家業と切っても切り離せない世界なのだ。
かくいう海馬コーポレーションとて前身は死の商人である。今でもそちらの方面を完全に止めたかといえば……そう簡単には行かないのが実業界というものであった。
新開発を止め、営業部門を解体し、別会社として切り離したものの、部品供給とサポートは相変わらず残さざるを得ない。
入れ替わりの激しい業界だけにいずれは縮小していくだろうが、完全に辞めました、では政財界が納得しない。
まして国家間の契約であれば違約金も莫大だ。
この男を見ているとそういう裏の事情も知り尽くした心得顔が癪に触って仕方が無かった。
ましてこの男のそれには、「よくわかりマスヨ、お互いつらい身デスネーー」という半ば同情めいた共感意識が見て取れるのだ。
「オオ、順調に進んでいるようデスネー。完成が楽しみデース」
ガラス窓の向こうで続けられている作業を覗き込んで、ペガサスが声を上げる。
視線の先にはアイ・ツー社との共同開発で進んでいるソリッド・ビジョン・システムを利用したバーチャルRPGの映像があった。完成のあかつきには海馬ランドの目玉になる予定だ。
ソフトウェア面ではアイ・ツー社が、ハードウェアおよび生産ラインは海馬コーポレーションが、というのが今のアミューズメント業界のグローバル・スタンダードと言えた。
瀬人としてはいずれはソフトウェア面も強化して名実共にトップシェアを牛耳るつもりだが、このあたりはまあ次の世代の話だと思っている。いずれモクバが成長すれば。
彼はモクバの世代こそが、バーチャルゲームのターニングポイントにあたると考えていた。この世代の子供達が成長すれば、ソフト面は次のパラダイム・シフトを遂げることになるだろう。ペガサスが開発したM&Wをも凌駕するような。
海馬ランドはそのための布石と言えた。
(フフフ。今のうちはそうやってはしゃいでいるがいい。いずれ貴様も老い衰える・・その時、我が海馬コーポレーションの前にアイ・ツー社も滅び去るのだ・・・! )
ニヤリとヒールに笑う海馬瀬人。どんなに物騒な家業から足を洗ったとしても、結局のところ彼の根本的発想は、デュエルどころか企業戦略においてさえ、物騒きわまりないのだった。
「ところで、海馬ボーイ・・・」
呑気にウワォ!とか声を上げていたペガサスが、ふいにシリアスな顔で振り返った。
さては読まれたかこの奇術師めと思ったが、警戒心を露にした海馬にペガサスが問いつめたのは全然別のことだった。
「アレは・・・もうできているのデスカ?」
「・・・アレ?」
咄嗟のことで記憶が出てこない。
瞬きする彼に、ペガサスが人差し指を立てて詰め寄った。
「ノォーーーウ!! 忘れたのデスカ!!! 私の愛しいシンディアのことデス!!!」
「・・・・・・・ああ」
忘れていた。
というか本気だったのかあれは。
てな程度にしか海馬は考えていなかったのだ。
ソリッド・ビジョンを利用して、亡き婚約者の立体映像を作ってくれなどと。
しかも単なる映像ではなく、声も動きもあって、簡単な会話くらいならできるような、そういうのがいいと、何度か念押しされていた。
ふざけるな、オレの長年の努力の集大成を貴様のダッ○ワイフのために使えだとと、いささか品のない感想とともに記憶野の片隅に葬っておいたのだが。
「ああっ・・・あんまりデス、海馬ボーイ・・・私のこの切なる願いを忘れただなんて・・・ユーにはこの人を愛するが故の苦しみがわからないのデスカ!!!」
わからんし、わかりたくもないわ。
握り拳を振るわせて人目もはばかりなく陶酔するペガサスの力説を、彼はとことん醒めた眼で見つめていた。
・・・事態をややこしくする人物が、さらに増えたのはこのタイミングでである。
「静香。ほら、これがうちのシステム開発部だよ。全部で第1から第8まであってさー・・・」
ホテルで暇そうにしている彼女を見て、モクバが一度会社を見せてやろうと言い出した。
案内はオレがするからさ。兄サマには迷惑かけないから!
健気な弟の言葉に許可を出したのが、今日だった。
それをうっかり忘れていたのは彼のミスである。
「まあ、すごいですね。まるで宇宙船の中みたい・・・」
どんな感想だそれは。
小耳にはさんだ彼女の言葉に、彼はよりにもよって今来なくても、と振り返って二人の姿を視界に入れた。子供が二人。無邪気なものだ。
モクバが説明するひとつひとつに律儀に眼を丸くして驚いている静香の姿に、怒る気がそがれ、目を細める。
従って、顔を上げたペガサスが、同じ少女の姿を見て目を見張ったことにも気が付かなかった。
「OH――――――!!!!」
この世のものとも思えない奇声が海馬コーポレーション第3開発室の廊下で響き渡った。
ペガサスが瞬間移動でもしたかのような素早さで静香の手を取る。
「シンディア!」
・・・・なに?
「海馬ボーイ! ユーも人が悪いデス。完成していたのならそうとちゃんと言ってくれれば・・」
そう言って慌てるモクバを押しやり、静香の手を引いて早速「お持ち帰り」しそうな勢いで手を振る。
静香はと言えば突然顕れた外人に眼を白黒させ、彼と海馬とを見比べていた。
「ふざけるな!!!!」
ワープホールでも開発したのかと思える速度で、瀬人はペガサスの手から静香を奪い返した。
「この娘のどこが貴様の婚約者だ! 少しも似とらんではないか!」
「ノーー!! そんなことはありまセン!」
言って、胸元からパスケースを取り出す。
その中には若き日の(おそらくは15歳くらいの)ペガサスと、一人の少女の姿が映っている。
「ホラ、ごらんなサーイ! 12歳の頃のシンディアとそっくりではありませんカ!」
彼が指差す少女の姿はなるほど、全体としては静香の印象に似ていなくもなかった。
しかし。
「何をバカなことを! この娘はどうみてもアジア人種だ! アングロサクソンの貴様の婚約者とは髪の色も目の色も肌の色も骨格も全部違うわ! エジプトオカルトグッズにやられて残った右目まで悪くなったのか貴様は!」
言われてみれば、とペガサスが静香を凝視する。
目の前の少女は明らかに東洋人種の顔立ちだ。
「・・・・・・そうデスカ・・。シンディアではないのデスネ・・・・」
あからさまにがっかりした顔だった。
憂いに満ちた視線で見つめられて、静香はあっさりと警戒心を解いたようだ。
「あの・・・海馬さん・・・この方は・・?」
彼の背後に隠されていた静香がおずおずと聞いてきた。
紹介しないわけにもいかないので仕方なく教えてやる。
「ペガサス・J・クロフォード。インダストリアル・イリュージョン社の名誉会長だ」
世間知らずの静香にそう説明して分かるかどうかと思ったが、意外にも静香はあっさりと声を上げた。
「・・・ああ! デュエリスト・キングダムを開催なさった方ですね?」
彼にとって思い出したくもない忌わしい単語が、こともあろうに静香の口からうれしそうに上がったので瀬人は内心おもいっきりムカついた。
「そうデスガ・・あなたは・・・?」
婚約者ではないと聞かされて、初めて静香の正体が気になったらしい。
未だ沈んだ表情のままでペガサスが聞いた。
「私、川井静香といいます。あの、デュエリスト・キングダムで優勝したの、うちのお兄ちゃんなんです」
そういえばそうだった、と海馬は久しぶりにかの凡骨の顔を思い出した。
彼が闇の罰ゲームを受けていた間になんやかやの漁父の利であの男が優勝していたのだ。
思い出すだに屈辱の記憶である。
「オオ! では貴方は城之内ボーイの妹さんなのデスカ。これは奇遇デス」
「はい! あの、あの時の賞金のおかげで私、眼が見えるようになったんです。ここでお会いできて本当によかった。どうもありがとうございました!!」
そういえば。
なんかそんなことを真崎あたりが言っていたような。
妹さんの手術代がどうとか。
あっけにとられる瀬人を無視して、ペガサスと静香は二人で盛り上がっている。
「OH! そうなのデスカ――――!!! それはよかった。私の賞金が少しでも貴方の役にたったのなら本望デース」
「はい! おかげで手術を受けることができて・・・。ほんとになんてお礼を言ったらいいか・・」
「お礼だなどと。貴方のようなレディのお役に立てたのならこれに勝る喜びはありまセーン。あ、これは私の名刺デス。よければいつでもお電話くださいネー」
さりげにナンパするペガサス。
別人だと聞かされて納得したのかと思いきや、少女の反応に脈ありと見て取る臨機応変さはさすがと言うべきなのだろう。なのだろうが冗談じゃない。
「ペガサス卿。そろそろ次の・・・」
強引に間に割って入ろうとする彼を全く無視して、ペガサスは熱心に静香に話しかける。
「貴方は私の亡き婚約者シンディアにそっくりデス・・・。彼女もちょうど今の貴方くらいの時に病に冒されて・・・」
「まあ・・・なんてお気の毒な・・・」
自身も病人だった静香はこの手の話に弱い。
芝居がかった話し方も外人だからと思えば納得してしまうらしい。
「それで海馬ボーイに頼んで、ソリッド・ビジョン・システムで・・・」
例の仮想恋人計画の話を事細かに語るペガサス。
「まあ、海馬さんはそんなこともできるんですか!?」
すごい、と手を合わせて静香が海馬を振り返った。
よせ、その目は。
と、海馬は思う。
この目だ。
この目がいつも、いつも、いつも彼をたじろがせるのだ。
以前デュエルシップを降ろせと言ってきたときも、兄のデュエルを止めさせてくれと言ってきた時もそうだった。
オレは聞かん、何も聞かんぞと、あれほど言い聞かせたのに。
だいたいこの小娘がなんの権利があって、オレの仕事場に立ち入った。
いや立ち入れたのはモクバでそれを許可したのはオレ自身だが、だからといって仕事の内容についてまで口を出す権利を与えた覚えはさらさらないぞ。
・・・・と普段の海馬なら怒濤のような勢いで追い返すところなのだが。
実際の海馬に出来たのは、必死で鉄面皮を保つことだけだった。
周囲の気温がどんどん下がっていくのに気づいた社員が思わず腕をさすり、モクバがおろおろと3人を見比べる。
「海馬さんはやっぱりすごいです!」
手放しで誉められて悪い気はしない。しないがそれとこれとは話が別だ。
オレの貴重な技術をこんなヤツのダッ○ワイフのために使えというのか! 冗談ではないわ!!
けれど、彼女の純真な眼差しと、ペガサスの得体の知れない笑顔が彼を凝視する。
その瞬間。そこだけG圧が上がったように感じた。
異様な圧迫感が彼を押している。
よせ。引き下がるな。ここで引いたら終わりだ!
オレの勇気が崩れたら王国(KC)は崩壊する!
遠い昔にどこかの誰かにそんな台詞を吐いたような気がした。
けれど、長い沈黙の果てに、言えたのは一言だけだった。
「・・・・・・まだ開発中だ。」
天災には逆らわない方がいい。
太古の昔、神官としてオカルト真っ盛りだった頃とは違い、今の彼はなんのかんのいっても結局ただの人間なのだった。
お嬢さん、また是非当社にも遊びにきてくださいネー、と上機嫌でロールスに乗り込むペガサスには心の中でロケットランチャーを打ち込み、うんと性格の悪い恋人を作ってやる、と誓ったが。
「海馬さん、あの人の夢を叶えてあげてくださいね」
などとにっこり笑う彼女には。
なにをどうしても有効な対抗手段が思いつかなかった。
全世界規模災害認定者。
彼にとっての川井静香はそういう存在になりつつある。