「水野竜也熱愛発覚!?」
噂は千里をかけめぐる。
インターネットが世界を席巻しても、衛星放送が5カ国同時中継を可能にしても、人間にまさる伝達媒体はないのだと、水野竜也は鳴りつづける電話にうんざりしながら人生の不幸をかみしめていた。
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「で、真相はどうなんだよ」
興味深々、というより呆れたような声だった。U-16時代はさほど親しいわけではなかったが、プロ時代に同じチームメイトになった若菜からの深夜の電話。彼は寝入りばなにたたき起こされて不機嫌極まりない。
「余計なお世話だ。深夜の2時に国際電話なんかかけやがってヒマなのかよお前」
「ヒマ? ああヒマはヒマだよ。遠征試合が終わってようやく一息ついたとこだし。したら英士からメールが来ただろ。新聞記事わざわざスキャナで取り込んで添付で送りつけてきてタイトルが『アホの見本』だぜ? 何かと思うじゃんかよ」
郭と若菜は真田を加えてU-14時代からの名トリオである。
私生活の上でもべったりの3人だったから、若菜が知っているならおそらく真田にも漏れているだろう。
そして真田の現在のチームメイトには椎名と藤代がいる。
( ・・・・・・最悪だ・・・・)
むやみに人脈(というより子分)の広い椎名と、お祭り騒ぎ大好きの藤代。
イギリス国内だけの醜聞沙汰なら絶対大丈夫と思ったのに。
だいたいサッカー選手の恋愛沙汰なんてワールドカップも終わった今、国際ネタになるほど大きく取り上げられることもないはずなのに。
「お前もやるよなぁ。相手女優だって? それもイギリスじゃかなりの人気らしいじゃん」
女優? あのアバズレ女のどこが女優だ。単なる酔っ払いの詐欺師じゃねぇか。おかげで俺がどんな苦労を・・・。
「そういや、彼女は知ってんの?」
無遠慮な電話の一言に水野はぎくりと身を震わせた。
もっかの彼のいちばんの苦悩のタネ。
「あーやっぱり言ってなかったんだ・・・」
「言ってないも何も単なる誤解だ・・・」
声が震えているのはあくまで怒りのためだ。相手が彼女だったら間違いなく恐怖のためだろうが。
「へえ? そうなん?」
「チームの優勝祝賀会に紛れ込んでたんだよ! 酔っ払ったって目の前でふらつかれて、介抱してたらいきなりずっとファンでしたって言われてキスされて、そんなん俺が知るかってんだよ!」
「・・・・・・それをフォーカスされたわけ?」
「祝賀会だからマスコミも来てたんだ・・・・・・」
タイミングが悪いというかなんというか。
「お前ってさぁ・・あれじゃねぇの。サッカーの才能の代わりに他の幸運は全部カミサマに吸い取られちゃってんじゃねぇ?」
同情交じりのため息が今の彼には痛い。
いやだそんな人生。
いくらサッカーが好きだからって、人生賭けてるって言ったって、白と黒のボールはさびしい独身生活のフラットを暖めてくれるわけもない。
「ま、がんばってな。もしかしたらさ、これをきっかけに彼女の方が焦って押しかけてくるかもしんねぇじゃん!」
面白がっていた分良心がとがめたのか、若菜は程よく思いついたなぐさめの言葉を口にした。
「そうそう! 遠距離の浮気でダメージ受けるのはされた方だって! 彼女飛んでくるよきっと!」
あながちありえない話でもないと若菜は思う。
だが当の本人はさほど楽観的にはなれなかった。
そんなあたりまえの女だったら彼がこんな苦悩を抱えているわけもないのだ。
だいたい翌朝シーズンオフ前の最終ミーティングに集まった際、この新聞記事を見せられていちばんにうめいた一声が、
「殺される・・・・・・」
だったせいで、罪もないチームメイトを蒼白にさせたのだからゴジラの襲来もかくやである。
「ま、がんばってな」の一言で切れた受話器を手に、水野竜也は確実に近づいてくる自分の最後の日を予感していた。
次の電話は翌朝いちばんに来た。
「やほー元気?」
はい、もしもしと震える声で受話器を取った向こう側からは、対照的に能天気な声が聞こえてくる。
とりあえず彼女ではなかった。
ほっとした反動からかつい口調が乱暴になる。
「なんだお前か。何の用だ」
「いやまだ生きてるかなーって思ってさ」
ということはやはり噂は伝わっているらしい。
「生きてるよ」
長くはないと思うけどな。
心の中で自分につっこんでさらに落ち込みそうになる。
「なんの用だよ」
「またまた」
「? なんだよ」
「結婚するんだって?」
「・・・・・・・・・・・・誰が?」
「お前が」
「誰と」
「有希ちゃんと」
「違う!!!!!!!」
電話口に向かって思いっきり否定するとえーそうなん?というあきらかにおもしろがっているような声が聞こえてきた。
「い、いったい誰がそんな」
オソロシイことを。
「渋沢先輩が不破から聞いたって言ってたけど」
「不破? 不破が何で!?」
昨日の若菜で、今日の不破。
あまりの唐突の無さに水野は思わず絶句する。
「さあ。でも風祭たちも知ってたよ」
まずい。
私的交友関係→チームメイト→ポジションつながり→同窓生。
サッカー業界の複雑怪奇な人的ネットワークは確実に目当ての人物に近づきつつある。
なんとか風祭とシゲには口止めを・・・と頭を抱えた彼に、あっ間違っちゃったーなコギャル的ノリで、藤代は爆弾を落とした。
「なんだー俺、有希ちゃんにお祝いメール送っちゃったよー式には呼んでねーなんてさーvv」
次の瞬間、彼の膝は無残に床に落ちた。
その後も、「別れるなら俺にゆずれ」とか「うまくやりやがって」とか「で結局どっちなんだよ」とか「お前も早まったな」とか「二股なんて器用な真似ができるやつとは思わなかった」とか「竜也、お前先方のご両親に挨拶は」とか「捨てられてヤケ起こしたのか」とか情報が錯綜した電話が次々と入ってきた。
おかげで肝心の本人に連絡を入れるヒマもなく、夕方近くになって、やっと決死の覚悟を固めてアメリカに連絡をいれた彼は、彼女のルームメイトから、夕べの晩震えながらパソコンを叩き壊した彼女が、朝イチの便でイギリスに向かったと聞かされる。
受話器を置いた彼が本気で国外逃亡を考えたとき、軽快なチャイムの音が、広いアパートメントにこだました。
居留守を使う度胸は、彼にはない。
「ゆゆゆゆゆゆゆ有希」
「なぁに?」
にこやかな笑顔が返って恐ろしい。
扉を開けていちばんに
「きちゃった![]()
」
などと語尾にハートマーク2つ付きで言われた日には卒倒するかと思った。
その後も当然切り出されてしかるべき話題には一切触れず、居間のソファの上でティーカップを傾けながら「やっぱりイギリスのお茶はおいしいわねー」とか「空港が混んでて大変だったのよ」とか「竜也くんちってきれいにしてるのね」とかどうでもいい話題をやけににこやかに語っている。
いやでも竜也くんちってなんですか今まで水野としか呼んだことないのにいきなりファーストネームでくんづけってどういうことですか、いやそんなことはどうでもいいんですがいったい何がしたくて来たんですか。もう焦りと恐怖で麻痺した思考回路では何にどう反応してよいものやらな感じで頭の中はぐるぐる回ってバターになりそうな状態である。
そういえばあの歌はどうしてぐるぐる回ると虎がバターになるんだろう。そんなことにまで思考が及ぶにいたって彼は人間、瀬戸際に追い込まれるとどうでもいいことばかりが気になりだすというあの法則を思い出していた。末期は近い。
「あ、ところでねぇ」
さらり、と話題が切り替わったので彼は来たな、と心の中で身構えた。
扉を開けた瞬間から弁解の言葉なら100通りほど考えてある。どこからでもこい。
「せっかくイギリスに来たんだし」
悲壮な覚悟を固めている彼の心中を知ってか知らずか、彼女はあくまでポーカーフェイスだ。
「観光に行きたいな」
「・・・・・・・・・・・・はい?」
「ビッグベンとか、バッキンガム宮殿とか、べッカム御殿とか、ミステリーサークルとか、大英博物館とか行きたいなー」
ダメ? と上目遣いに甘えた声を出す目の前のこれは一体誰だ。
「ねぇ?ダメ? 竜也くん」
だから竜也くんって誰ですかアナタ。
「いやでも大英博物館なんて到底1日じゃ無理だぞ。あれは回るのに3日くらいはかかるし、ミステリーサークルなんて行って帰るのに2日はかかる・・・」
それにべッカム御殿はべッカムさんの私邸で観光地じゃない。
「あら? 誰が1日だけなんて言った?」
「え?」
「1ヶ月くらいはいるわよあたし」
「はい?」
「だから泊めてね」
あたりまえのように言ってにっこりと彼女は笑った。
「とととと泊めてねってお前・・・・」
いまさらそんなことで赤くなるほど初ではないはずだがしかし。
「ゲストルームくらいあるんでしょ?」
「だだだだだってお前試合とか練習とか」
「シーズンオフなのはこっちも同じだもの。いいわよね?」
口調は普段どおりなのに有無を言わせぬ力があった。
「いいんでしょ?」
二度目のダメ押しには本気で殺意を感じた。
力なくうなずく以外、何ができただろうか。
『キスの1つや2つがなんだってのよ。あたしは竜也とあーーんなことやそーーんなこと毎日やってんだからね!』
「水野竜也同棲疑惑!?」
BBCの正面玄関前で問題の女優と大立ち回りを演じた有希と、それを羽交い絞めにして止めようとする竜也のフォーカスがお茶の間と日本サッカー業界をにぎわすのは。
そのわずか1週間後のことである。