「あ~あ、ここの合宿所のコーヒー、まずいよなぁ。」
何につけても不満を真っ先に口に出すのはやはりこの男、鳴海貴志である。
自己主張の激しいのはラテンの血のなせる業だなどと本人は吹聴しているが、それが真っ赤な嘘なのは誰だって知っていた。
Blood is thicker than Coffee.
久々に集まったU-19の合宿所。
もちろん将来日本サッカー界を担うであろう少年たちなのだから、食事については量も質も申し分ないものが揃えられている。しかしながらその「質」の基準にどうやら「味」は入っていないらしい、というのが大方の意見であった。
食いしん坊の藤代、育ち盛りを主張する若菜と鳴海、京都では老舗の料亭の息子だという吉田光徳まで加わって陳情書まで作られたりしたが、もちろん改善策が取られるはずもなく、かくて冒頭の鳴海のボヤキとなるわけだ。
毎日の食事すらそのありさまなのだから、嗜好品の類であるコーヒーや紅茶に配慮が行き届くはずもなく、自販機のコーヒーの方がまだマシだという理由で、広大なフィールドの向こうにある近所のコンビニまで買いに行く者も少なくはなかった。
しかしながらそんなものでは到底満足できない人間もこの場にいる。
「こだわる柄かよ。飲めりゃなんでもいいくせに」
生来、コーヒーはあまり好きではないらしく、口をつけようとすらしていない椎名がせせら笑った。
「何おぅ!俺、朝はモカじゃなきゃだめなんだよ!」
モカ? モカってどのモカだ。モカハラーかモカマタリかそれともモカシダリのことか。
ちなみに今てめーが飲んでんのがモカマタリだ。毎日飲んでんなら気付けバカ。
選抜一寡黙と言われ、本人にも充分にその自覚がある男、木田圭介は、背後でわめく俄かコーヒー党を心中でののしった。
もっとも鳴海がわめく気持ちは彼にもよくわかる。
初めて合宿所でコーヒーとして出されたアメリカンなどというレベルをはるかに超えたキレもコクも酸味もないそれを口にした時のショックは、筆舌につくしがたい。
インスタントだからなどという言い訳は聞きたくない。例えスーパーで売っている500g198円のネ●カフェだったとしてもここまで風味を殺すのは至難の業のはずだ。
おそらくこの場にいる誰も、このコーヒーの「慣れの果て」の銘柄など気付きはしまい。
そう思うと主張することすら空しい。
ああそれでもイェメンが誇る世界愛飲率ナンバーワンの豆がどうしてこんな変わり果てた姿に・・・。
いったん食卓に上ったものには文句はつけない主義のため、敢えて声には出さず、木田圭介は自らのつつましいこだわりを苦虫をつぶしたような顔で流し込んだ。
「? どうした木田?」
向いで賢明にも(もっともコーヒーがこのありさまでは他のものも押して知るべしだが)日本茶を手にした渋沢が寡黙なDFのわずかな変化を認めて声をかけた。
「いや・・・なんでもない」
ただでさえ曲者揃いのメンバーに手を焼くカリスマキャプテンにこれ以上の心労をかけたくはない。そう思って彼はわずかな沈黙にすべての苦痛を封じ、最後の一口を一息に飲み干す。そして次の瞬間、愕然として口に手をあて、うつむいた。
「どうした!? 木田。やはりコーヒーになにか・・・」
あわてる渋沢を「大丈夫だ」と制したが、彼の見かけよりナイーブな心は深く傷ついていた。
なんてことだ。
夜明けのコーヒーなのに・・・苦くない。
木田圭介は無類のコーヒー好きである。
もっともガタイがでかいうえに無口でしかもヤクザもびびるほど眼光鋭い彼に、面と向かって「ご趣味は?」などと問い掛けられる者がいるはずもなく、彼のそのささやかなこだわりについて知る者はこの選抜メンバーにもそう多くない。
なのでもちろん彼が優れたサッカー選手として海外に行ったり合宿に参加したり、遠征試合に出たりするたびに「誰がコーヒーを煎れてくれるんだー!」などと玄関先で父親や妹にすがりつかれていることを知る者はいない。
三度三度の食後のコーヒーは家族の誰にも任せたことがなく、新しい喫茶店ができるたびに足を運び、インターネットで海外のコーヒー会社から豆を仕入れ、小遣いをはたいて自前のサイフォンとロールグラインダーまで揃える男。
中学の卒業アルバムに「将来の夢:サッカー選手→コーヒー園の経営者」と書く男。
たとえどれほど政情が不安定だろうと、プロとして海外へ行くなら絶対に南米圏と決めている男。 それが木田圭介であった。
以前、都選抜の3日間の合宿の時には巨大な2Lの水筒を2本も持ち込み、こっそり隠れて飲んでいたくらいだ。人が見たら怪しいアル中以外の何者でもなかっただろう。
しかしナショナル選抜の合宿はおよそ2週間。いくらなんでも水筒がもつはずもない。涙を飲んでやってきたその矢先に、こんな豆の絞りかすのようなコーヒーを飲まされた。
挙句の果てにエセ通ぶった男がモカだなんだと抜かしやがるし。
それを言うなら俺だって毎朝の豆はキリマンジャロと決めている。
いやモカはいい。モカはいいんだ。あれはいいコーヒーだ。
やや柑橘系のフレッシュな酸味と香りは疲れた体を癒す午後の一服には最高だ。しかし彼の好みからいけばやや苦みが軽い。
毎朝の目覚めを促すのはやはりキレの鋭さでピカイチのキリマンジャロがいい。いや百歩譲ってモカハラーならばいいだろう。あれならばキリマンジャロの次点に置いても異存はない。マンデリンだなどと言い出したら正気を疑うところだが。
万感の思いを込めて空になったコーヒーカップを睨み付ける木田に、何人かの人間が気付いたが、その眼光のあまりの鋭さに何もいえなかった。
そもそも彼がこんなにコーヒー好きなのにはわけがある。それもサッカーと密接にかかわる訳が。
なんとなれば彼のコーヒー好きは祖父の血であった。木田の祖父は明治時代、国費留学生にまで選ばれた秀才だったが、留学中たまたま飲んだコーヒーの味に惚れこみ、帰国後嘱望されたエリート街道をあっさりすてて、ブラジルでコーヒー農園をはじめてしまった。
息子のうち次男坊であった木田の父親は日本に留学した際、木田の母親に出会って日本で職につく道を選んだため、日本人に帰化したのだが、決して母国を忘れたわけではなく、そんなわけで幼い木田少年も夏休みにはよく祖父の元に遊びに行ったものだった。そしてそこで彼はサッカーに出会う。
ブラジルの国技サッカー。ブラジル国民がもっとも熱狂するスポーツ、サッカー。天才ペレを、カルロスを生んだブラジル・サッカー。
現地の人々に混じってマラカナンスタジアムで憧れのペレの引退試合を見てしまった彼が、サッカー少年になるのはごく自然の流れであった。
「木田ー今日の飲み会、おまえも参加すんだろー?」
合宿がようやく一段落して、やっとこれで美味しいコーヒーにありつける! やっぱり顔には出ないが心は晴れ晴れと荷物を片付ける彼に、同室の内藤が声をかけた。
「そうだな・・・」
今の彼の心境としては当然酒よりコーヒーだ。しかしながら合宿のメンバーとはまた半年ほども会えなくなるわけだし。
同じ都内の人間はともかく、東北や九州から来ている者とはなかなか交流の機会もない。
そう思って彼は了承した。後から思えば、浮かれていた故の判断ミスと言えなくもない。
お酒は二十歳を過ぎてから。そんなお題目はどこぞへ放り込んで、日本サッカー界の至宝たちは光徳のつてで貸切にした料亭で極秘の飲み会を開始した。
「おまえたち、ほどほどにしておけよ」
選抜唯一の良識派である渋沢が一応注意はするものの、右へ左と流される。
「特に、功刀、高山、城光、おまえら最終で帰るんだろ?」
「ああ!? アホ言うなや。これしきの酒でどうこうなるほど弱やないわ!」
そういう功刀ら九州メンバーの前にはすでに一升瓶が2本ほど確保されている。
火の国生れの火の国育ちにとって、アルコールは燃料代わりである。交流会と銘打って参加表をまわした頃から、彼らは既に飲む気満々だった。
おそらく自分にとってのこだわりと同じくらい、彼らにとって酒はアイデンティティをかけた男の証なのであろう。
そう思えば微笑ましいとすら思えるではないか。
そんな木田の前のビールジョッキも既に半分以上が減っている。
コーヒー一辺倒であまり飲んだこともなかったが、今は風呂上りのビールは最高だ!などとほざいていた父親を白い目で見ていた自分を恥じていた。
これはこれで悪くはないのかもな。
ほろよい気分でふと部屋の隅に目をやった時、広い座敷に備え付けられたテレビにかじりついている藤代や桜庭たちの姿が映った。
『さあー! 皆様お待たせしました! 本日のメインイベント! 浅草サンバカーニバルの皆さんです!!』
「ひょー! でたでたぁ!」
「俺これ見んのはじめてやわー!」
「マジでこんなカッコで踊んの? すっげぇ!」
「ブラジルの試合なんか見てっと応援席で踊ってたりするべな」
「いるいるー! なあ日本の試合でもこね―かな」
「嫌だ―! 俺は見たくねぇ!! つか見たら笑う! ぜってぇ笑う!」
「なあなあ、木田。おまえもそう思うだろ?」
いつの間にか背後に立っていた木田に気付いて、笑いすぎた目頭を押さえつつ伊賀が声をかけた。
テレビの中では、照れ屋の日本民族にはあるまじき派手派手しさで飾りたてた人々がサンバ特有の奇声を放ち踊り狂っている。
声をかけられても座りもせず、しばらくそれをやたら冷静に見ていた木田だったが、やがてぽつりとつぶやいた。
「腰の振りが甘い」
「は?」
ただでさえフィジカルのいいDFに背後にたたれると異常な圧迫感がある。
そんな中でつぶやかれた一言だった。
周囲が沈黙する中、木田は厳かに二言目を放つ。
「腕の上げ下げも単調だ。あんなものはサンバではない!」
完全に目が据わっていた。
「お、おい木田、どうしたんだ?お前」
選抜でもっとも木田と仲がよく、フィジカルでもはりあえる内藤が、仁王立ちになった彼の肩に触れた。
だが木田は普段冷静な彼らしからぬ激しさでその手を振り払う。
「あれでサンバを名乗るなどとはおこがましい! ブラジル人がみたら鼻で笑うぞ! 俺が本物のサンバを見せてやる!!」
全員があっけに取られる中、木田のシャツが高らかに宙に舞った。
結局そのサンバ騒ぎは、慣れないアルコール摂取とテレビから聴こえてくるリズム感溢れる音楽の効果ともあいまって、お祭り騒ぎ大好きの藤代、地元の名物を貶されて怒る浅草生れの江戸川育ち小岩や、もともとラテン気質な鳴海と若菜、おまけに城光にけしかけられた高山まで加わるに及んで収拾のつかない事態となった。
そして、以後、U-19メンバーの間では、「木田圭介・魅惑のサンバショー」は忘年会のトリとなることが決定する。
木田圭介。好きな物:コーヒー。特技:コーヒーを煎れること。そして・・・
身上書に決してかかれない彼のもうひとつの特技が、この夜判明した。
しかしながら彼にラテンの血が1/4だけ流れていることは未だメンバーの誰も知らない。
木田圭介ラテン・クォーター説。いかがでしょうか?
コーヒー好きでサッカー好きで目つきがアレでフィジカルが良い。サポーターブックを買って彼のデータを読んでいた時、これらの要素をイコールで結ぶのはブラジルしかないと確信したのですが・・・。
きっと彼はブラジルへ行ってサッカー選手になって、老後は祖父のようなコーヒー園をやるのが夢なんでしょう。
がんばれ木田! キミの人生設計は完璧だ!! <いや勝手に決めるなって。