「ヒマそうね」
サッカーボールを手にした彼女がそう声をかけて来た時。
最初はまさしくヒマそのものだった。
性に合わない悩み事など抱えてしまうくらいに。
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「いち、、にぃ、さん、、し、、ごっ・・・・・・」
不規則ながらもどうにか膝の上を跳ねていたボールは、6回目をカウントする前に地面についた。
「ヘタクソ」
「う、うるさいわね。アンタの教え方が悪いのよ!」
きつい眼で睨んでボールをおっかけていく彼女の後ろ姿を肘をついて見守る。
これでもう何度目か。
教え方がどうのと文句をつけられてもリフティングが上達するコツは一つしかない。
馬鹿の一つ覚えみたいに何度も何度も繰り返す。ボールが膝の上で跳ねる、その加減が分かるようになるまで。
少なくとも彼のソレは(こう見えても)たゆまぬ持続性の賜であって、例えば彼だって初めてボールを蹴った時から10回を数えるようになるまでには・・・・・・
「2時間くらいやったかな?」
それを考えると彼女のアレはちょっと難ありかもしれない。
ボールを手にして戻ってきた彼女は、なんでうまくいかないのよとかぶつくさ言いながらも懲りずに同じ動作を繰り返す。
少なくとも根性だけは買うべきだろうとは思う。
あんたケガしたんならヒマでしょ、あたしのコーチになんなさい。
先日の試合で左腕を負傷した。最初のうちは風祭やサン太のコーチなどやっていたが、都選抜で3人抜けて以来、なんとなくチーム全体が骨休め的な雰囲気になってきている。
そんな中で打倒小島有希を掲げて、地味な練習に励むお嬢様が一人。
これさいわいとばかりに専属コーチにさせられてしまった。
「お嬢・・・・・・」
結局彼女のリフティングは10回をカウントすることなく、下校を促すチャイムがタイムアウトを告げていた。
才能ないわ、あきらめ。
そう言ってやることは簡単だったが、悔しそうに地面を睨む横顔を見ているとなんだかここにいない誰かを思いだして何も言えなくなる。
( ポチとは動機も性格も違うんやけどなぁ・・・。 )
いったい何が彼女をこうまでさせるのか。
正直お高くとまった風の最初の頃はもっと冷めた性格かと思っていたのだ。
実は彼と彼女は1年の頃から補習組の常連として、サッカー部を通じるより前の知り合いである。
毎回顔を合わせれば挨拶の一つくらいはする仲であった。もっとも
『おう、お嬢。毎度』
『私は今回は古文と数学と英語と地理だけですわ!』
『オレは古文と地理だけやで』
・・・というのを挨拶といえばの話だが。
「ふ、ふん。まあいいですわ。とりあえず8回まではいくようになりましたもの。明日こそあの女に目にもの見せてくれますわ!」
荒くなっていた呼吸が元に戻る頃には精神のほうも復調してきたのか、お嬢様は夕日に向かってガッツポーズなどしている。
確か昨日も同じことを言っていたような気がするが。
やれやれやっと解放されると腰を上げると、目の端に何も知らぬ気に片付けに入る小島の姿が映った。
「なあお嬢」
「? なんです?」
「そんなに小島に勝ちたいん?」
「当たり前ですわ」
即答だった。
「なんで?」
「? 勝ちたいから」
一瞬こんがらがった顔になったが、直後には短くも潔い答えが返ってくる。
まるで1足す1はなぜ2なのかと聞かれたかのような顔だった。
「せやから」
彼はため息をつきながら伸びすぎた前髪を掻き上げた。
「気にいらんのやったら無視しとったらええんとちゃうの?」
「気に入らない? 誰が?」
「誰がて・・・・・・」
呆れた風に振り返る彼の視線の先を追って、宿敵の姿を認めたお嬢様は、ようやく納得いったようにふん、と笑い、
「佐藤。あんたこの間のテスト、カンニングしたでしょう」
全く関係のないことを、断言した。
「ナンノコトヤラ」
「誤魔化すんじゃないわよ。補習の時でさえマトモにやらないアンタがサッカーのためだからっていきなり平均点以上とったりする?」
「そういうお嬢は合格ラインすれすれやったなー」
「私が本気を出せばあんなものよ」
「いや誉めてないし」
どうにも一方的だ。
まあ彼には関係ないのだからどうでもいいことだが。
軽口をたたき合う分にはこのお嬢様の論理回路は単純明快で、気持ちがいい。
余計な重りを抱えている今は、特に。
( かわしてばかりじゃ、大事なものは手に入らないぜ。 )
( なんで上を目指さへんのや )
いらんお世話や。
そうはねつける一方で、けれどと思う自分がいる。
けれどどうしたら。
「私が気に入らないのは小島有希じゃないわ」
不意打ちのような言葉に顔を上げる。まだ会話が続いてたことを正直忘れていた。
彼が気を逸らしていたことにおそらく気づいていたはずだが、彼女は我関せずとばかりに言葉を継ぐ。
「私が気に入らないのはね、小島有希に負ける今日の私よ」
道徳の教科書にでも載りそうな返事だと、彼は苦笑する。
「ご立派やな」
冗談のまじらない完全な皮肉だった。馬鹿にしたような声がつい口をついて出る。
「負け犬のままなんて冗談じゃないわ」
「たかがサッカーやろ」
彼女の胸元にその象徴が抱え込まれている。正視できなくて目をそらす。
その途端。
「できる人間はみんなそう言うのよ」
傷ついたような声が彼の耳を打った。
ふりかえればほっそりした影が悔しそうにうつむいている。
「あんただって最初から上手かったわけじゃないでしょ。何度も練習してリフティングとかシュートとかできるようになったんでしょ。この間の試合だってあんなかっこいいプレーできるようになるまでに何度も練習とかしたんでしょ」
「そら・・・まぁな」
「できるようになった途端にそういうこと言うのよ。なんでこの程度ができないんだってね。できなかった頃の気持ちなんか忘れたような顔して。そうやって今までの自分を否定するようなこと言うようになったらそこで終わりなのよ。あんたは今のまんまでいいんならそれでいいんじゃないの。でもあたしは」
上げられた顔はなんだか必死の形相だった。
難破しかかった船に乗っているような、そんな。
「強くなんなくちゃだめなのよ。小島有希になんか負けてる場合じゃないのよ」
「だからなんで小島なん?」
「似てるから」
「誰と?」
今度は彼女が顔を逸らす番だった。
余計なことを言ってしまったと後悔している顔だ。
「・・・・・・お母さん」
背を向ける一瞬で返された答えは頼りなく響いた。
帰り道。
彼女の家は彼の仮の宿である寺とはまったく反対方向なのだが、専属コーチにさせられて以来、遅くなることもしばしばなのでなんとなく送っていく日々が続いている。
今まではからかい半分のどうでもいい会話ばかりだったので気も遣わずに済んでいた。
だが、今日はお互い黙り込んだまま、というより彼女の方が一方的に世界をシャットアウトしているので、彼は黙ってやや後ろをついていっていた。
そういえば彼女の家はお嬢様というだけあってなかなか豪勢な造りだが、その家に明かりが灯っていたことはない。
彼女自身が鍵を開けて入っていくところを彼は何度も目撃している。
共働き、というやつだろうか。
お嬢様の鍵っ子なんて珍しいなとその程度にしか考えていなかった。
「なあ」
「・・・・・・」
「お嬢のお母はんて・・・どんな人なん?」
「・・・・・・」
聞いてしまった自分が愚かだと思った。深入りするなともう一人の自分が諫める。
「どんなとこが小島と似てるん?」
「聞いてどうするのよ」
「いやなんとなく」
「・・・・・・」
また沈黙が痛い。
だから言うたやろがボケ。
やっかい毎に首つっこむなと普段の自分に蹴り飛ばされながら、彼は黙って前を歩く彼女の背中を追う。
制服の白が夕日に染まってきれいやな、とぼんやり思う。うなだれて流れた髪の間からのぞく白い首筋が危うい脆さをさらけ出す。こんな弱気な彼女ははじめてだった。
「自分の好きな道を、自分のために歩いて、だから綺麗に見える人」
「・・・・・うん」
「勝てた試しがないのよ。昔から」
「そら・・・親なんやし」
「だからって、負けられないのよ」
「・・・・・・」
「正しくても、楽でも、あの人とおんなじじゃ意味がないもの」
「・・・せやな」
作り始めた自分の形を彼女は必死で守ろうとしている。
満足いくまで何度でも壊してまた積み上げて、そうやって少しずつ崩れないものを。
そうまでして守る自分が。
自分の何処にあるだろう。
( できる人間はみんなそう言うのよ )
たかが自分。たかがサッカー。
だけどそれさえ失ってしまったら、後に残る自分は。
「なんにも、あらへんな」
やっと気づいた。
つぶやかれた一言にいぶかしそうに振り返った彼女はもう普段の勝ち気そうな表情を取り戻している。
「・・・・・えらいな、お嬢」
「当然ですわ」
何でどうしてそうなるのかわかってはいないだろうが。根拠なく胸を張って彼女は答えた。
「せやな。がんばれ」
皮肉でなく心からエールを送って顔を上げれば、前を歩く彼女の制服の襟が風にはためくのが映る。
船の帆みたいやな。
そんなことを思って、思わず笑った。
今までずっとうつむいてばかりでいたような気がする。
初夏の終わりの季節風に、真っ赤な夕やけ。てくてく歩いて、行き先は彼女次第で。
今ならどんな場所だって、迷いなく行ける気がした。
「もちろんですわ」
そう、もちろん。
どんな場所にだって自分は行ける。
だから。
前を歩く彼女の後をついていこう。
真っ青な海に船出するみたいに晴れ晴れと。
羅針盤に従うように迷いなく。
見失わない彼女のかたち。
「明日こそ、勝ちます」
見失わない。
翌日。
彼女のリフティング記録は9回にマークされた。
ちなみに小島有希の自己最高記録は128回だそうである。
道程は果てしない。