桜散る。
少し風が強くて暖かい、こんな天気のいい日には。
土手沿いの道、一面花吹雪できれいです。
ほろほろ咲いて、ひらひら散って。
真新しい靴を履いて歩けば、心も軽くなってふわふわ。
こんな天気のいい日には、
あなたにさようならをいいましょう。
さくらちる。
扉を開けるなり、「や」と片手をあげた彼女に、水野竜也はめんくらった。
「・・・・・・・小島」
ぽけっとした表情になったのが自分でもわかる。
「やほ。ひさしぶり。元気?」
「ああ。・・・どうしたんだ? 突然」
「んー・・・ちょっと話したいことがあって。散歩でもしない?」
気軽な口調ではあったが、何か相談事なのだろう。
軽く頷いて、母親に声をかける。
足下にじゃれつく愛犬もついでに連れていくことにして、手綱を握った。
「・・それで?」
「ん・・・」
桜吹雪の中を並んで歩く。
話題をふっても彼女はしばらく黙っていた。
初春の柔らかい風が髪を泳がせる。
「・・・・・・髪のびたんだな」
すぐには吐きそうにない、と判断して話題を逸らした。
このあたりの呼吸は女系家族に育ってきた故の「慣れ」である。
「うん。水野も背が伸びたねぇ」
そういえば並んで歩くと視線が下がるのがわかる。
1年前まではさほどでもなかったのにな。
「1年は短いようで、長いな」
中学を卒業してから1年。
新しい環境で新しい仲間と一からやり直して、来年には先輩と呼ばれる身分に戻る。
「1軍のレギュラー、10番だったんだって? おめでと」
「よく知ってるな」
「うちの先輩が武蔵野森に彼氏いるの」
「へえ。サッカー部?」
「うん。2軍だっていってたけど」
あたりさわりのない会話が続く。
久しぶりにあっても結局話題はサッカーのことばかりになってしまう。
卒業してずいぶん経つというのに、お互いの間に流れる空気には不自然なところが少しもなくて、たぶん、そう、2人は1年前と少しも変わらない。
成長していないわけではなくて、変わっていないわけはなくて、けれど顔を合わせてもその差異が気にならないだけ。大事なことは知っていて、あとは瑣末の問題だから。
彼にとって小島有希とはそんな少女だ。
「お前は? レギュラーとれたのか?」
留学を望んだ本人の意に反して、小島は都内の女子高に進学した。フットサルで知り合った西園寺の推薦があったと聞いている。
まあ、親の同意もいるし、仕方ないよと笑っていたが、内心ではかなりくやしがっていることも彼は知っていた。
「うん。そういう話もあったんだけど」
「? なんだよ。どうしたんだ」
「あたしね」
そこで足が止まった。
きた、と彼は身構える。どうやらここからが話の核心らしい。
ずっと前を見ていた彼女が、ひたり、と視線を彼に据える。
次の瞬間、気負うでもなく淡々と告げられた一言。
「留学することにした」
それは相談ではなく、単なる事後報告にすぎない。
「・・・・・・そうか」
「うん」
もう決めたんだな、と彼は思う。
でもまだどこかで迷っていて、彼にそれを告げに来たのは多分、そんな迷っている自分を捨てるためなのだ。
「行ってこいよ。がんばれ」
だとしたらそれを受け取って、背中を押すのは彼の役目だ。
だって2年前、同じように彼女の前にスタートラインを引いたのは自分だったから。
サッカーが好き。
その思いだけで2年間を共有し、信じた大事な仲間だったから。
「お前なら、やれるよ」
可能性を信じて。自分を信じて。
その熱さの中だけでしか生きられない今を信じていて。
どこまでも行け。
「・・・うん」
泣き笑いのように、彼女の顔が歪んだ。
それでも笑顔は笑顔だった。
「水野なら、そう言うと思った」
「そう言われたくて、来たんだろ?」
「・・・・・・うん」
泣いてしまった自分を彼は微笑んでみている。
多分うれし泣きだと思ってるんだろう。
見上げれば空一面のサクラ、サクラ。
散って、咲いて、また散って。
来年の春もきっと同じ風景。
「・・・あたし、やれるかなぁ」
「大丈夫だよ」
「なんでそう思うの」
「サッカー好きなんだろ?」
「うん、好き」
迷いなく答えて、でも好きなものはもう一つあるのとそれだけは言えない。
「お前は、大丈夫だよ」
そう言って、笑った彼の笑顔も、やっぱり迷いなんかなかった。
『そう言われたくて、来たんだろ?』
『うん』
泣いてしまったあたしを水野はいつまでも優しく笑ってみていた。
痛みのない笑顔がさようならのしるし。
春の日に照り返す、きれいな笑顔。
いつまでもそのままでいてなんて、きっとあり得ない願いだけど。
散って、咲いて、また散って。
来年の春も同じ笑顔に会いたいの。
笑顔の分だけあなたは遠くて、近づけないあたしは今日ここから背を向けて逃げ出すけど。
お願い。
ずっとそのままでいて。
誰の手も届かないままでいて。
ずっと。
「なあ、ホームズ。」
夕闇の中で遠くなる背中を見送る。
「俺、うまく笑えてたかな」
姿勢よく、潔く、どんどん歩いて、遠くなる彼女。
「また会えるよな」
桜吹雪と小島有希。
似合いすぎる季節に生まれた彼女は、涙をふりきって旅立っていく。
「また、会えるから」
それは希望でも祈りでもなく、ただそうなるだろうという自然な確信だ。
だって彼も歩いていくのだから。
彼女と同じ熱を追いかけて、自分を信じて歩いていくのだから。
だからきっとまた出会う。それはごく当然の帰結なのだ。
「また、な。小島」
最後に彼女にかけた言葉をもう一度つぶやいて、彼は未練なく踵を返した。
花に嵐の日があろうとも
力強く歩いていけ。
さよならだけが人生なんて、
小島有希には似合わない。
fin.
2004/4/3 [ミズ×ユキFestival] 初出