近年、富みに台頭してきた概念に「信仰の自由」なるものがある。
17世紀、自然科学の発展につれて広がった合理主義によって大きく揺らぐこととなった神への信仰は、19世紀に入って各地で起こった共和制への革命運動と共にさらに権威を失墜した。
少なくともこの時代、神なるものの存在を本気で信じているのはよほど敬虔な信徒か、科学の恩恵も受けぬほどの辺境に住む田舎者くらいだろう。
しかしながら長年ヨーロッパの精神世界を支配してきた教理だけに、そうたやすく葬り去られたりもしない。
要するに「神様は実在はしない」けど「奇跡とか天罰とかそういうのはあるかもしれない」というくらいにはしぶとく人々の心の中に根を下ろしている。
だからこそ、バチカンはあいも変らず権威を振りかざし、教会には献金が集まり、人々は聖人を祭っては騒ぐのである。多分にそれを利用した商売根性が顔をのぞかせているにせよ。
従ってキリスト教圏における信仰の自由とはつまり、カトリックかプロテスタントかあるいはロシア正教かイギリス国教会かという程度であり、そこにイスラム教とか仏教とかあるいはうんと思い切って三文小説のネタとして暗黒大陸アフリカから来襲したブードゥー教なんてものまでは含まれない。
教義・修派の違いはあれ、同じキリスト教、同じ父なる神とイエス・キリストを信じる者であることには変りなく、いくらなんでも昨日までカトリックだった者が今日からいきなりヒンドゥー教徒になりましたなどと言ったところで許されるはずもない。認めるのはあくまでキリスト信仰の自由であって、宗教選択の自由ではないのだ。
信仰の仕方がどれだけ変わり果てようとも神様はあくまで同じ神様、マリア様はマリア様でなくてはならないというのは暗黙のルール。異国文化がどれだけ流行の最先端を走ろうとも、2000年近く信仰の頂点にあった神様までとりかえてしまうのは明らかに行きすぎというものだった。
とはいえ存在を許されるものはある。
たとえば旅行先で買ってくるお土産用の神像とか神話を模したタペストリー、そして古今東西若い女性の心を捉えて離さない、幸運の(それも恋愛成就系の)お守り。
いわゆるご当地開運グッズの類である。
「あの……なんですか、これ」
はい、おみやげと渡された珍妙怪奇な像を手に、ミランダはその神像以上に珍妙な顔をした。
ありていにいれば普段より3割増しな困り顔。
こちらの行為が単なる厚意なのか手の込んだ嫌がらせなのか判断つきかねるとき、彼女はよくこういう顔をする。この絶妙の困り顔はティキの好きな表情のひとつである。
「何って。見た通りだよ。神像。神様の像」
「神様……」
とっくり30秒、それを眺めた上でミランダはただでさえ下がり気味の眉をさらに寄せて弱々しい反論を試みた。
「違います。こんなの神様じゃありません……」
確かにミランダの知る神とは違うだろう。
第一カトリックでは偶像崇拝は禁止である。聖人やキリスト、マリアの像などは盛んに作られているし、教会でも馴染み深いものだが、神そのものについてはその似姿を作ることは許されていない。
それでもミランダの乏しい知識によれば神様はご自身の姿に似せて人間を作られたのだ。
だとすればこんな頭が鳥なのか魚なのかよく分からない、手が5本もついて、挙句足のかわりに先端に鋭い爪のついた羽までしょっているようなものが神様のはずがない。
それでもティキはこれは神様だと言い張った。
「お前ね、これはインドでも由緒ある寺院で手に入れためっずらしい神様の像なんだぞ。これさえ持ってりゃ転んだり崖から落ちたりはおろか、死ぬような目にあっても五体満足で生還できるってありがたーいご利益付きだ。始終つっ転んでるお前にはぴったりの代物だろうが」
代物呼ばわりしている当たり、ティキ自身が有難がっている気配は微塵もない。
ましてやご利益自体がいやに即物的というか具体的だ。生還って。
「……そんな有難い像、どこで手に入れてきたんですかティキさん」
「どこでって、インドに決まってるじゃねぇか。そんな妙なモン、このロンドンで買えると思ってんのかよお前」
やっぱり有り難味はありそうにない。
ミランダは心の中でだけ盛大に溜息をついてもう一度その神像に目を落とした。
ティキはノアだ。ミランダはそのことは知っている。知っていてずるずる会っている、その件に関してはミランダなりにいろいろ考えていて最近では考えすぎてもうどうにもでもなれという気になってしまっているのだが、そのことについてはとりあえず今は置いておく。
ともかくティキはノアなので、わりと世界中のどこにでもあっという間に行って帰ってくる。
昨日はエジプト、あさっては中国、そのまた次はニューヨークと何の用事かは知らないが(多分千年公の用事で、それはとりもなおさずミランダの属する教団にとっての敵対行動になるのだろうが)あちこち行ってはこうして妙なお土産を買ってくる。
妙な、というのはティキ自身の趣味がそうだということよりもまずミランダに贈ろうとするものの選定基準が他人へのそれとは大きく違うからだろう。
綺麗なものより、面白いもの。美味しい菓子より、下手物珍味の類。
ティキからもらったものは概ね素直にありがとうと謝意を述べるのが難しく、部屋に飾ろうにも他人が見たらこちらの趣味を疑われそうなものばかりだ。
有り難味より物騒さが先立つこの神像にしても、枕元におけばさぞかし夢見が悪かろうと思わせる出来である。
それでも捨てたりすると彼は怒るし、なによりミランダの性分がそれを許さない。
なんとか好意的に解釈して折り合いをつけるしかないのだ。
ミランダは再度の溜息を押し隠しティキに謝意を告げると、その像を寝起きの際にだけは目に入らない場所に置いた。
そうして彼女のベッドに腰掛けて、図々しくも言葉以上の謝意を期待する彼のためにカーテンを閉めた。
ティキが気まぐれに買ってよこすそれらは日々増殖を続けている。
先日のインドの像に加えて、本日もたらされたそれはもっと得体の知れない不気味なものだった。
ありていにいうと手首の10cmくらいのところからちょん切られた小さな手のミイラ。
あまりのことに手渡された瞬間、ミランダは絶叫しかかったがここで声を上げたら確実に教団内の誰かが飛び込んでくるだろう。そう思って全力で息を呑んでこらえた。
「なっ、なっ、なんですかぁこれ!!!!」
「ん。それはな。猿の手のミイラ」
こともなげに、というか明らかにミランダの反応を面白がっている顔でティキは答える。
「いりませんそんなもの!!!!」
さすがの彼女もティキに投げつけるとまではいかないものの我が手からは振り放し、結果としてその不気味な物体は床にぽろりと転がった。
「おやまあもったいない」
「な、何がもったいないんですか、だいたいなんだってそんなもの買ってくるんですか嫌がらせですかそんなに私を驚かせたいんですかこれがおみやげってティキさんは明らかに間違ってます!!!」
一息に言い切ったので息が切れてその上眩暈まで起こしたらしい。
ミランダが椅子の背もたれに抱きついて、大きく息を吸っては吐きし、なんとか呼吸を整えるまで、その一連の動作をひとしきり楽しんだティキは徐に用意していた文句をつきつけた。
「お前ね、人がせっかく苦労して手に入れてきたものをそんな扱いはないんじゃないの」
「誰が欲しがりましたかこんなもの!」
「こんなものってねお前、これはねすんごいご利益があるものなんだよ。事によっては持ち主を殺してでも手に入れようって連中もいるくらいなんだから」
「そんな物騒なものならなお要りません!」
普段ならもらったものに文句をつけることはおろか、他人にも滅多に声を荒らげない彼女だが今回ばかりは堪忍袋の尾が切れたというかもう限界。
なのにティキときたらこちらの機嫌など全く意に介した風がなく、従って反省の色もナシだった。
こういう人だからどうしたってミランダが折れるしかないのである。
「どんなご利益があるっていうんです…」
試しに、とばかりに聞いてみたら待ってましたとばかりにティキはにんまり笑ってみせた。
「どんな願い事でも3つまでなら叶えてくれるんだと。よかったなぁミランダ。これでいっちょ身の回りの不幸全部とっぱらってもらうよう頼んどけばお前も不幸女のレッテルからおさらばだ。感謝しろよこのティキ・ミック様に!」
ご利益の程がどうかは知らないがとりあえず呪いのアイテムとかそういうものではなさそうだ。
ほっとしてミランダは床に落ちていたそれをこわごわながら拾い上げる。まあ実現するかどうかはともかく頼んでみるだけなら害はあるまい。
「そ、そうですか。それはすごいですね。ええとそれはこれにお祈りするだけでいいんですか?」
「うん、あと叶ったら身の回りの人間何人か死ぬけど」
「捨ててきてください」
自分がその一人になるとはカケラも考えてなさそうなティキに、ミランダは思い切り手のミイラを突き返した。
えー、なんでよーせっかく苦労したのにさーと不満顔の相手の言葉は今度こそ無視して「捨ててこないならもう二度と部屋に入れてあげません」と宣言したのでようやっとその不気味で物騒な物体はミランダの部屋から無くなる事となった。
しかしながらそのお返しとばかりにその夜は延々耳元で下記のような繰言を聞かされる羽目になったのだが。
「ミランダはさー、ただでさえ不器用でさー、その上なんか運も悪いし。それなのにエクソシストなんかになっちゃって、オレ心配なんだよ。怪我してないかとかうっかり死んでないかとか考えるとほんっと切ねぇの。だからこうしてあっちこっちの神様にお願いしてご利益ありそうなお守り買ってきてるのにさー。ミランダ今イチありがたみとか感じてなさそうだよねぇ? なんでそんな邪険にするの。ちょっと見た目が怖いくらい気にしちゃいかんよ。むしろ見た目怖そうなほうが効き目あったりするんだからさー。つまりこれってオレなりの愛の証なのよ? ミランダそこんとこ分かってる? ほんとかねぇ。オレがこんなに心配してやってるのにさー。ホント薄情だよねお前。どうもオレ最近愛されてないんじゃないかとか思うわけよ。ミランダほんとにオレのこと愛してる? 愛してるっていうならさーエクソシストなんかやめてさー……」
以下同文を夜明けすぎまで繰り返されたおかげで、次の日の朝はここのところご無沙汰だった目の下の隈が久しぶりに復活していた。
ちなみに件の猿の手はそれにふさわしい持ち主として千年公の手に渡り、彼はそれをとりあえずのコレクションに加えた模様。
だからといってティキの悪癖が改まったわけもなく、ミランダの部屋には今でもわけのわからない異教の開運グッズが増殖を続けている。
かくてこのように愛の名の下に振りかざされる過保護と心配性のお陰で、人類の敬虔なる信仰は今日も凋落の一途を辿るのである。