興がのったといえばそうだし、無視してもいいかと思えばそうだったろう。
要するにちょっとした興味の範囲なんだと。
あの程度の相手何を怖がる必要があるでなし、だとすれば己の指先ひとつ、天秤の傾く方に応じるままどちらに向くかはそれこそ髪の毛一筋分くらいの重みに任せて。
もっと強い意思や感情、合理性のある状況判断が介入すればそれで終わりにできる程度のものだろうと。
いつでも終わりにできる、と一族の誰にもそう言いながら。
遊びと本気の境目など棚に上げたまま、彼は彼女に手を出したのだ。
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「だから心配するなって」
出かける間際、ロードが珍しく彼の行く先について苦言を呈した。
概ねどんな出来事も静観を決め込み、事態が膠着して初めて嫌味たっぷりに口を出してくる彼女が珍しくもその眉をくもらせて。
「ティッキー。あのねぇ…そろそろ終わりにしたほうがいいと思うよ?」
千年公はなんにも言わないけどさ、とあくまで個人的な意見であると前置きした上で。
「ティッキーはさぁ…カンタンに終わりにできると思ってるみたいだけど」
相手はあんなんでもさ、一応エクソシストなんだし…と。
それについてティキの返事はにべもない。
「考えすぎだよ。だってお前、お前自身が言ってたんじゃないか。あんな弱っちいのがエクソシストなんて笑わせるって」
どうせすぐに飽きるだろうし、退屈しのぎだよと笑ってみせたその言葉に「だといいんだけどね」と半ば諦めたような溜息を盛大にくれて、少女はそれ以上は何も言わず不埒な夜遊びに出かける弟を見送った。
( 全くロードのやつ、何を柄にもない心配しているんだか。 )
もちろんのこと、ティキ自身はロードの忠告などはなから真剣に受け取っていない。
どうせアイツはまだお子ちゃまだからなと。彼女が一族の長子であることは十分に解しているもののそれはあくまで能力や千年公の計画の上でのこと、世俗に関わる出来事でいえばまだまだ外見通りの経験しか積んではいないのだ。
男をお気に入りの玩具と同じ視点でしか見ていない彼女に、男女の機微などわかるはずがない。したり顔でお説教ならまだ子供のくせにとからかってやれるものを、あんな心配そうな上目遣いでそろそろやめたほうがだなんて、姉貴面もたいがいにしろと。(後が怖いので言わないが)
そんな風に腹を立ててしまう彼の心のうち自体がロードにとって心配の種なのだということを、ティキ自身は気付いていなかった。
「ティキはまた出かけたのかね?」
ダーンリー公爵夫人のサロンに顔を出して欲しかったのに、と客間に入ってきたシェリルに対し、ロードはソファの上で膝を抱えて「知らないよ」とぶっきらぼうに答えた。
愛娘の機嫌があからさまに悪そうなのを見てとってシェリルは眉をしかめる。
「ティキと喧嘩でもしたのかね、ロード」
「知らないったら。勝手にすればいいよあんなやつ」
これはどうもただの喧嘩ではなさそうだ。そう悟ってシェリルは少し驚いた。女子供のあしらいに長けるティキがこうまでロードの機嫌を損ねるのは珍しい。どんな事柄も飄々と軽くいなし、気安い態度と洒落た会話に麗しい(シェリル視点)笑顔、非の打ち所なく女性に好かれる資質を備えた弟はもちろんロードにとってもお気に入りの兄弟だ。千年公の仕事も二人でいっしょにこなすことも多く、特に基本的に単独行動を好むロードが傍において手伝いを許すのはティキ一人といっていい。
それなのにこうまでロードをむくれさすに至った原因はなんだろう。
興味を覚えるが、下手につつくとますます意固地になって口を開かないことは明白だったので、ここはそれ、沈黙を保つことで父親としての貫禄を見せておくことにした。
ロードは聡い子供だ。いや長子である以上見た目通りの子供なんかではないのだが。
ともあれシェリルのそんな気遣いが分からぬほど愚かではない。
よって、しばらくの沈黙の後に「女のとこだよ」、とシェリルの最初の問いにだけ答えを返してきた。
「女? はて…今ティキがつきあいがあると言うとキーツ子爵のお嬢さんだったかね。それともハックニー卿の夫人だったか……」
「ビクトリアはこないだフランスに嫁いでったでしょ。アーデリーのおばさんは今コッツウェルズから来た画家に入れあげてて最近会ってないよ。ティッキーは基本自分に興味のない女には興味ないもん」
「そうなのかね」
「そうだよ。もてるもてる言ってるけどさぁ……ティッキーの場合は来る者拒まずで去る者追わずでしょ。受け身なんだよ。流されやすいの。めんどくさがりなの。つまり別れるとか切れるとか自分で切り出せるわけないの。わかってんのかなぁそこんとこアイツ……」
せっかく心配してやってんのに。
つんけんと断定口調で始まったここにいない兄弟への文句は、尻切れとんぼの繰り言となりぶつぶつとした呟きになった。
感情の起伏の激しい娘の機嫌をどうとったものか、そこのところに気を取られたシェリルは、だからロードの心配事に関してはわりとおざなりに聞いていた。
ティキに関する自身の偏った信頼故に。
『ティキ・ミック卿……私、今日は悲しいお知らせをお伝えしなければなりませんの…。実は嫁ぐことが決まったのです。海を離れたフランスに。ああ貴方にお会いできなくなるのは本当に悲しいですわ。でも父がどうしてもと……お会いしてみた限りでは相手の方もそう悪い方ではなさそうでしたし。でも私の心だけは、貴方に捧げたものだということ、どうぞお忘れにならないでくださいましね?』
『ああ、愛しいティキ。こうして貴方に会っている時間がどれほど貴重なものか分かってくれるわね?でもどうやら夫が感づいたようなの。しばらく…ほんのしばらくだけれど会うのを控えましょう。大丈夫よ。しばらく経てば夫もまた新しい愛人を作るでしょうし。そうしたらまた会えるわ。浮気しないでね。約束よ。え?大丈夫よ。今日は夫はいないから。ええ、今日だけはね、楽しみましょうね、ふふ…』
相手の体面と自身の保身、くるんだ甘い嘘で引き際のタイミングを上手に用意する女たち。
要するに本気の恋など誰も望んでいないのだ。
ティキが社交界で相手にする貴婦人たちは自身の価値をようく心得ている。
ティキ・ミック候はまことにもっていい男だと。そう誰もが思い、恋人にしたいと一度は望み、彼女たちは概ねその望みを叶え、そして思う。まことにもって彼は見目よく、都合よく、物わかりのよい男だと。
付き合っている間はこちらをいい気分にさせてくれ、別れたいときはあっさりと身を引いてくれる。だからこそ本気の恋には向かない相手と、女は本能で知っている。
向かない相手に向かないことをさせるような無駄を、社交を心得た女はやらないものだ。
世慣れた令夫人が、社交界に出たての自身の娘をティキに預けるのは、恋愛の駆け引きを覚え、社交のルールをわきまえさせるための格好の練習相手、体のいい踏み台がわりというわけだった。
ティキ自身もそのことはよく分かっている。
下層の出自である彼は、上流階級の女たちを完全に自分とは別物と捕えていたし、自分が連れて歩くにちょうどよいペットと同じ扱いしかされていないこと、そんな女たちの上っ面も一度ひき剥がしてしまえば単なる娼婦と変わらないこと、だからこそ心の底で見下げ合うのはお互い様だと嗤っていたことを、ロードはよく知っている。
シェリルがいくら望もうとも、ティキ・ミックにとって社交の場で知り合う女たちは、例えかりそめにでも人生をともにする相手たり得ない。
上流社会のルールはややこしく、堅苦しく、枠組みを守ることが何よりも重要で、そんな型にはまった生活を彼の本来の性は好かない。遊びの恋を楽しむための道具仕立てと思えばこそまだ侮蔑混じりの笑いの種に出来るのだ。
一生をそんなルールに縛られて暮らせと言われればすぐさま逃げ出すだろう。
何せめんどくさいことは大嫌いな、楽しいことしかしたくない、遺伝子レベルでそれを保証された人間なのだから。
そしてわけても人生においてとびきりめんどくさくて人を鬱々した気分にさせてくれるものは何かと言えば、それは恋愛沙汰における別れ話なのだ。
まして相手が心を残している場合はなおさら。
泣かれて引き止められてどうか戻ってと縋られて。
そんな愁嘆場を好んで引き起こせるほどティキ・ミックはきっぱりした人間ではない。
ロードは誰よりも、弟のその性質を知っている。
飽きたらさようならとすぐ切れられる、そんな相手としかつきあったことがないくせに。
( でもあの女はそうじゃない )
諦めが悪くてしぶとくて。普通の人間なら体面やプライドが邪魔して出来ないようなあられもない愁嘆場も、あの女ならやってのける。
きっと最後までティキにしがみついて離れない――離さない。
ぎりり、と爪を噛んでロードは脳裏にあのみっともない、身も蓋もない泣き顔を思い浮かべる。
あんな顔で泣かれたらきっとティキは離せない。
おおよしよし泣くなよと、つい機嫌をとってしまうに決まっている。そうやって懐いてくれる人間は彼をいい気分にさせるから。面倒くさいことは嫌いなくせに、面倒な人間の面倒を見るのは好きな彼のことだから。
最初に出会った時、ミランダ・ロットーを気に入らない女だと思ったのは、もしかしたら予感があったからかもしれなかった。
エクソシストであること以前に。
人間の弱さやずるさや愚かさしぶとさ、みっともなさ、諦めの悪さ。ロードがいちばん嫌いで、ティキがいちばん好きなニンゲンらしさ。
ミランダ・ロットーはそれを全て備えているニンゲンだ。
ティキが彼女に会えば否が応でも思い知らされるだろう。――彼もまた、そんな人間の一人であると。
ティキ・ミックがミランダ・ロットーを捨てる時。
それは彼が、人間である自分を捨てる時だ。
いつでも捨てられる、と彼は言う。
それは嘘だ――否、間違いだとロードは知っている。
ティキ自身がそう気付かなくても。
いくら遊びだと、言い訳したところで。
だからこそ手放せないことを、彼女はよく知っている。