不幸な偶然というのはどこにでもあるが、ことさらにそれに出会う確率の高い人間というのもやはり存在する。
ミランダ・ロットーは確実にその部類に属する人間だ。
この場合肝心なのは、巡り会ってしまうのが「不幸そのもの」ではなく、偶然出会ってしまったものが不幸な結果に結びついてしまう、という点だ。と、自身が不幸続きのアレン・ウォーカーはそう思う。つまり出会う偶然自体は不幸の形をしていないのだ。
自身の中から生まれる不幸はそれに立ち向かう力もまた自身の中から絞り出せるが、偶然はそれがどんな結果を生むのかは最後になってみるまで分からない。出会い頭の事故と同じでつまり対処不能だ。最後にたどり着く結果が不幸だったとしても、どうしようもない。
たとえばそう、今目の前で起こっていることのように。

繰り返すがこれは不幸な偶然だ。
つまり故意ではない。だからオレのせいでは断じてないぞとティキ・ミックは無駄な言い訳をしてみる。ただその言い訳の相手が自分自身であるというその時点でもはや負けを認めたも同然である。
誰がどう弁護してくれたとしてもと、やっぱり自分でも分かっているのだ。というか弁護なんか誰もしてくれそうになかった。
現実、空気は凍りつき、予測を越える事態に誰も彼もが硬直し、戦いも忘れてただその不幸な偶然の原因である彼と、その被害を被った彼女を凝視している。
敵味方の区別無く、この事態について誰が悪いと言われれば全員が全員即座に彼を指さしてくれるだろう。
ただ自分のせいにされたくないというその理由だけで。
さて偶然の仕様がもたらした結果によって不幸な羽目に陥ったミランダ・ロットーは当然のことながら泣いていた。対処としては実に正しい。
こんな場合はもう泣くしかないのだ。誰のせいでもないただ偶然の巡り合わせによって最後の被害を被ってしまった人間は、ただ我が身の不運を嘆き、地に伏して泣き喚くしかしようがない。
しかしミランダはこれまでの経験上、こういった不運にはいささか慣れてもいた。だからそんなに激しく取り乱し泣きわめくようなことはしなかった。
彼女はまず、ぺたん、と力つきたように腰を抜かし、一瞬遅れてぽたぽたと大粒の涙を流した。
やがてのどの奥からひきつったような声が漏れると、手のひらに顔を埋め、しゃくりあげるように泣いた。
常識で考えてそんな悠長な泣き方をしている現場ではない。何せ周囲はノアとAKUMAで満載だ。対して味方のエクソシストはアレン・ウォーカーただ一人。たった二人でこの事態をなんとかしなければならないというこの時に、泣いていたんでは話にならない。
だが幸いなことに──この不幸な事態にして唯一幸いなことに、敵側であるノアもそれどころではない感じになっていた。この場で最も力のあるノア、ティキ・ミックにしてから、泣きじゃくるミランダを目の前にしてどうしていいか分からない始末だ。
何せ彼女がこうなった直接の原因は彼だからして。

「泣かせた」
とアレンがつぶやけば、後ろに控えたロードが呼応するように「あーあ、ティッキー、やっちゃったぁー」と彼の味方をする。
「お、オレのせいじゃないぞ! こんなとこにのこのこ出てきたこの女もわる…」
「見苦しいですね、ティキ・ミック。レディにこんな仕打ちをしておいてそれを相手のせいにしようだなんて」
そう相手を断罪する間に彼は自分のイノセンス──白いフード付きマントの形をとったそれ──のさらに下に着込んでいた団服を脱ぐと紳士らしい仕草で、地に膝をついて泣きじゃくっている憐れな同僚に着せかけた。
彼女の身につけていた団服はイノセンスを残してちりぢりの細切れとなって散らばっている。
白く細い体が煤と埃と炎にまみれたこの場に痛々しい姿を晒していた。
目の前で立ち尽くす黒ずくめのティキ・ミックとはまことに対照的。こうなった原因は確かに彼一人のせいではないが、直接の原因は彼だし、その被害をわかりやすい形で助長したのもやっぱり彼である。

ミランダ・ロットーのイノセンスは時を操るという扱いの難しいものだ。時間を停止したり巻き戻したり逆に早く進めたりもできる。だがそれはあくまでかりそめのものであり発動を停止すると途端に現実の時間と状況が戻ってくる。結果として発動中に致命傷を負えばそれは発動停止と同時に死をもたらすし、打ち壊されたものは形を失う結果となる。
さてそのかりそめの時間を操る能力でもって、今回の戦闘中は発見された新たなイノセンスの奪取を防いでいたミランダだったが、その強固な防戦に業を煮やしたノア二人、ロードとティキ・ミックの参戦によりかなり危険な状態に陥っていた。
アレンがロードに手こずっている間に、ミランダの相手をティキがすることになったわけだが、ティキ自身はミランダの能力がどういうものかよく理解していなかった。ただ時間を止めたり巻き戻したりするだけのようだと大まかに判断し、それなら相手の疲労を大きくして発動を止めさせようと、自身の加虐趣味も加わって、弱い獲物をいたぶるだけの攻撃をいくつも繰り返した。
「ねえオネーサン。あんま無理しない方がいいんじゃねえの? つらいでしょ? オレに任せればラクに死なせてあげられるよ? オレ女にはやさしーからさ。あんま痛くしないようにしたげるよ?」
かつてアレン・ウォーカーを死に至らしめかけた空気を遮断するという彼の能力を、彼女の皮膚一枚すれすれのところでいくつも発現させながらいたぶる、その攻撃はミランダ自身の能力によってすべて無効化されていた。見かけの上だけでは。
だからティキは防がれているのだと思っていた。
自身の攻撃が鋭いかまいたちとなって彼女を襲っていることも、その上で彼女が息を上げながらも無傷でいることもただ見たとおり理解して、全く相手に効いていないのだと。
そんなことはなかったのだ。
彼の攻撃は確かに彼女にしっかり届いていた。
ただ彼女のイノセンスはその結果を延々と引き延ばしていただけだった。時間停止という能力によって受けた攻撃を全て先送りにしていただけだった。
結果として戦闘を始めて1日半後、ミランダの疲労はピークに達した。
シンクロ率が徐々に下がり始めるのを見てとったアレンが、この場はともかくもいったん引くべきと判断し、ロードを渾身の力で大きく後退させたとき、ついにミランダの力は尽きた。
「おっ、ついに諦めた? そうそう女は素直でなくちゃね」
軽口を叩いて詰め寄ったティキの目の前で、彼のこれまで放ってきた全ての攻撃が一気に彼女の身に返り——結果として黒い団服の全てが切り裂かれて地に落ちた。

「あっ? あれ?」
その疑問符が示すとおり、自称「学がねぇんだよ」のティキ・ミックは自分の為したことながらなんでこんな結果になったのか全く分かっていなかった。
ただ細い裸身を晒して呆然と立ち尽くす彼女の目から大粒の涙がいくつもいくつもこぼれ落ち、ぺたん、と腰を抜かしてしゃくりあげ始めるに至ってようやく、どうもこれは自分のせいらしい、ということに、そして周囲もそう思っているらしいということに気がついて──らしくもなく狼狽え見苦しい弁解を繰り返しながら退散していった。

「ミランダさん、大丈夫ですか? 怪我はないですか?」
オレのせいじゃねぇええええ──とアレンからすれば往生際の悪い弁解を叫びつつ退散したノア一行を見送り、アレンはようやく泣きやみかけたミランダに声をかける。
「ええ、大丈夫よ。ただ服が…ダメになっちゃっただけで……わ、私ったら情けないわね。ノアの前で泣いたりして……ただあの人、男の人だったから……つい恥ずかしくなって……」
「気にする必要はないですよ。あんなの男なんかじゃありません。犬です。それもたちの悪い野良犬です。女性にこんな辱めをするような男を人間扱いしてやる必要ありません。最低の犬以下のずるずるトカゲ野郎です。そう思って忘れましょう。ね?」
「ずるずる…?」
かつて最終覚醒を遂げたティキ・ミックを見ていないミランダには今ひとつわかりにくいたとえだったが、アレンの笑顔になんとなく押し切られる形で「そうね」とほほえみ返し、そのまま帰途についた。
当然ながらアレンが後日提出した報告書にはこの一件については書かれぬままとなり、イノセンスも無事回収し終わって一件落着。ミランダ自身も失敗の多い我が身の常として、不幸な記憶は日常に上書きされ忘れ去られた。

 

さてそれからしばらくして、世間様では万聖節間近の頃。
ミランダ・ロットーの元に匿名の贈り物が届いた。
送り主の名がないので怪しんだ科学班が爆発物の対処等入念な準備の上開封したところ、中から出てきたのは極上のベルベットでできた深紅のドレスだった。
胸元のあたりが深くくれた、流行のデコルテを見せるタイプのカットで、きゅっと絞られたトップには、縁を金でかがったきらきら光る赤いヴェネチアン・ガラスの薔薇が飾ってある。揃いの帽子にも同じ薔薇をやや小振りにしたものが飾りとして取り付けられ、すっきりした上半身のアクセントになっていた。腰から下は2枚重ねたドレスの上をたくし上げ、優雅なドレープで後ろ姿にふくらみを持たせるバッスルスタイルで、ミランダの細い腰をさぞ引き立たせるだろうと思われる。
「…………」
はーっと感嘆のため息を漏らしたのはリナリーだったが、贈られた当人のミランダの方は逆に青ざめていた。年齢相応の女性としてドレスの美しさは当然理解できたが、それと同時にこれがいかに「お高い」ものかも分かったからだ。多分あの帽子の薔薇だけでかつての彼女の年収を軽く上回るだろう。メイドや洗濯婦をしていた頃だってこんな高そうなドレスに触れさせてもらったことはない。お金持ちや貴族の女性が着る服であることは間違いなかった。
「どどどどどうしましょう……」
狼狽えるミランダに箱から取り出したリーバーが、あきらかに場違いなものを手にしてしまった困惑の表情そのままに答える。
「どうしましょうって、着たらいいんじゃないか。……まあ贈り主不明ってところが怪しいが」
「そうだねぇ。でも爆破物はおろか毒物反応もないし。着ても大丈夫と思うよ。見立てもいいんじゃない?ちょっと派手だけど」
最後は女性らしい感想でしめくくったキャッシュの言葉に、ミランダはぶるぶる首を振る。
「ととととんでもない。私無理ですっ。こここんな派手なの……高そうだし」
自身のふるまいからすれば多分すぐ汚すか破くかしてしまうだろう。
そうミランダが言い張るために、怪しげな所は贈り主のみというそのドレスは元通り箱にしまわれた。
もしかしたら教団内の誰かがミランダに想いを寄せてということは十分に考えられるわけだし。何せリナリーにも誕生日にはものすごい数のプレゼントがくるもんね、とジョニーが言い、これで一件落着と科学班の面々は散らばっていった。
ドレスの入った箱を手に途方に暮れたミランダを残したまま。

「あれ、ミランダさんお出かけですか」
常ならずよそ行きの恰好をしたミランダを見とがめ、アレン・ウォーカーは声をかけた。
といってももちろん贈られたあの怪しげなドレスではない。普段よりもちょっとおめかししてるかな、と思う程度の黒いドレスに、黒のレースの帽子。普段着だろうと外出着だろうと基本色が黒の彼女のお洒落はアレンくらい気の利く人間でなければ分かりにくい。
「ええ、ちょっと。収納ケースといくつかカーテンを見て回ってこようかと思って」
引っ越したばかりの箱舟は築300年近かったかつての教団の建物と違い、前の持ち主、千年公の趣味が生かされているため一部屋一部屋が馬鹿に広くて作りも凝っている。ために今までの家具やインテリアでは規格にあわなかったり足りなかったりするものが多かった。
それに引っ越しは、もうそろそろくたびれてきたかな、というものを新調するよい機会、女性は殊にその傾向が強い。
いってらっしゃい、という声に見送られてミランダは街に出た。
ロンドンのシティのあたりをさんざ歩き、ショーウィンドーをのぞいて回る。滅多にない買い物はやはり楽しいものだ。
今はまともなお給料ももらっているから、ほしいものもちゃんと買えるし。
こじんまりした喜びにふけりながらミランダは、衣装ケースおよびその他の目的のものを買い揃えた。だがその中に、服飾に関するものは混ざっていない。
長い間の経験で、ミランダは自分が着飾ったところで大した変貌はしないと達観している。おもいきってしゃれ込んでみたあげく、ちぐはぐでおかしな結果に終わるという悲しい経験を何度か繰り返すうち、自然と地味な服ばかりに落ち着き、ためにどれだけ華やかな服を見ても見るだけで満足するようになってしまった。先日贈ってもらった服などその最たるものだ。
きれいだけれど衣装タンスの中では場所をとるし、正直他の服に比べても場違いなので誰かもっと似合う人がいたら、そう、リナリーちゃんがもうちょっと大きくなったら、あげてしまおうと考えている。そのために長持ちするような衣装ケースをこうやって買いに来ているのだ。贈り主にはまこと申し訳ないが、あんな華やかで高そうなドレス、着ていく当てもないのにもらっても困るだけだ。
今も彼女の右手のショーウィンドーには、パリの最新モード、東洋趣味を取り入れたというアール・ヌーヴォー風のドレスが飾られている。モスリンの繊細な刺繍飾りなど、とてもきれいだけど自分がこれを着たらきっとあっという間にどこかにひっかけて裂けてしまうに違いないわと、うっとりしながら現実と妥協するという若い女性にありがちな感想を抱いていた。

さてそんな彼女に奇異な視線を向ける人間は、わりと多い。
が、たいていは横目でちらりと視線を投げるだけ、通り過ぎてしまえばもう忘れている程度の見せ物だ。
わざわざ通りの向こうから双眼鏡で覗くような真似をする人間がいたとしたらそちらの方がよほどおかしかろう。
だが現実にはそんな人間がいた。
通りの向かい側の、ガラス窓の向こう。ごく限られた上流階級者のみが出入りする高級ホテルの軽食用ラウンジに腰掛けて、分厚いゴブラン織りのカーテンの影から双眼鏡で覗いている身なりのよい紳士が。
その傍らには紳士にふさわしい気品あるレディが同席している。こちらも最新流行のドレスに身を包み、これから夜会にでも出席しようという恰好で陶器のティーカップを手にしている。
紳士は、紳士らしからぬ覗き見の結果として首をかしげていた。
「…………着てねぇじゃねぇの。ルル。お前の見立てやっぱおかしかったんじゃないの?」
「知りませんよ。アレは私のじゃなくて貴方の見立てでしょう。私は貴方の言われたとおりにしただけですよ。貴方の言うとおり、あの女に化けて、貴方と連れだってシェリルの妻に紹介されたパリの高級洋装店に行って、貴方の趣味通りの服を選ぶ手伝いをしてあげただけですよ」
どうせサイズ合わせのためだけの同行なんだから趣味までとやかく言われる筋合いはないですね、と冷たく切り捨てて彼女はカップを傾ける。
なんでこのワタシがあんな女に化けてやらなくちゃならないのか、との不満はその口調にありありと出ていた。主が協力してやれと言わなければ即座に断っていただろう。
あの主は時々妙に人間くさく、このたびのティキの失敗もレディに恥をかかせたのはよくありませんネとその償いに協力的なのだ。
相手はエクソシストだろうになんでそんな気遣いが必要なのか、ルルにはとんと理解不能な男性心理である。
そうしてせっかく買って贈った服だが一度も袖を通された節がないというのでティキは不満顔だ。
贈っただけで満足すればいいものをこうしてまたも彼女をつきあわせて相手の観察に及んでいるのもそのせいだ。
「着てないってことは気に入らなかったってことだよなぁ…アレ見てるってことはああいうのがいいってことかね?」
「…かもしれませんね。それでどうします。今度はああいうのにしますか」
「うん、頼むわ」
ため息を吐いて彼女は立ち上がる。優雅にその場を後にする姿に、美男美女のひとそろいとして周囲の羨望と給仕たちの恭しい敬意を受けながら。

かくしてその二週間後、またしても贈られてきた豪奢なドレスを手にミランダは途方に暮れていた。
タンスの中に入れようにも、アール・ヌーヴォー調のドレスは無駄に布地が多いので入りきらない。絹シフォンの繊細な布地は柔らかく、その柔らかさを補うために幾重にも重ねることでボリュームを作っている。フレアスリーヴ式の袖もたたむのに不便だ。それにミランダのタンスはもともと持っていた服に合わせて小さめなのでこんな嵩の大きいドレスを入れておく余地はない。
衣装ダンスにあふれかえった布地を前にどうしようかとため息を吐いて、ミランダはまた街で保管用のケースと虫除けのポプリを買ってこなくてはと腰を上げた。

そんなことが何度か続くうち、ミランダの部屋はどこの高級洋装店かという状態に陥っている。着る当てのない服ばかりが増えるのも困るがその保管に注意を要するのはもっと困る。不器用故にメイド時代は高価な服に触らせてもらえなかったという過去を持つ彼女にはまことに重荷な話である。
このミランダ当人には迷惑でしかない贈り物の主について、周囲からもいろいろ取り沙汰されているが、彼女自身に心当たりはとんと、ない。
こんな高そうなドレス申し訳ないと憂うミランダに、アレンなどはどこかでミランダさんを見初めた貴族か金持ちがいるんでしょう、気にすることはないただ受け取っておけばいいんですよ、男ってものは女性に贈り物をして喜んでくれると思うだけでいい気になれる生き物なんですからと慰めてくれる。
とはいえやっぱりできるなら止めてほしいのだ。どうにかしてそれを伝える手段はないかと思い悩むミランダを横目で見つつ、アレンの慰めを黙って聞いていたラビが戻ってきた彼に問いかけた。
「なあアレン、お前もしかしてなんか知ってる?」
「なんのことでしょう?」
「まったとぼけてさあ。ミランダにあんな贈り物する男って誰なん? 俺らの知ってるやつなんだろ」
「ラビこそ。心当たりがあるんじゃありませんか。ブックマンならあちこちの情報に詳しいんでしょう」
「いんや、たださあ……ミランダ双子の姉妹とかいるわけないよねぇ?」
「聞いたことありませんね。ドイツでも一人暮らしでしたし多分家族はもういないんじゃないんですか」
「だよねぇ。じゃあさあ…ミランダそっくりの女がさあ…貴族のパトロン従えてパリの街で買い物してるとこ教団のサポーターが見かけたなんて話もさぁ…冗談としか思えないよねぇ?」
「……へぇそうなんですか。その貴族って誰なんです?」
「うん、だからさぁ……アレン、お前ミランダと二人だけで任務に出たっていつだっけ?」
腹の探り合う二人の会話がどんな結末を見たか知らないがことさらに喧嘩騒ぎになっていないところからして平和的帰着をみたと思われる。おそらくはおもしろそうだからしばらく事態を静観する、という方向で。

派手やかで手のかかる衣装の入ったケースをよいしょとまた積み上げて、ミランダは地震など起きませんようにと軽く祈っておく。
多分ちょっと揺れでもしたら布地の山に埋もれること間違いない。
一度も袖を通さない服はそろそろ20着を越えようとしていた。
ミランダ自身は今日もぴっちり首まで覆う黒の地味なドレス、豪華なドレスの入った箱に囲まれた姿は仕立屋の針子か洗濯婦くらいにしか思われまい。
そもそもこんな服似合わないのに、どうしてドレスばかりなのだろう。くれるならもっとささやかなものにしてくれればいいのに。いえいえもらったものに文句をつけるなんてよくないわ、神様お許しください、とそこまで考えた上でもやっぱりため息は出てしまう。
自分の部屋なのに主役はこのドレスたちのようで、居心地が悪い。
さっさと寝てしまおうとミランダはベッドの方に向き直り……そして硬直した。
若い男が、それも紳士姿の、こともあろうにノアの男が、彼女のベッドに腰掛けて不機嫌そうな視線をこっちに向けていたからだ。

「ひ、ひぃあ…」
とのどの奥でひきつれた声が上がったが、男は意に介さなかった。
「久しぶりだな、エクソシストの女。いいぜ叫んでも。どうせ外には声届かないし」
ミランダにはわからない彼の能力の使い方で、そうなっているらしい。
事実今の悲鳴にも外からの反応はなく、逆に外の音も聞こえなくなっていた。
まさに絶体絶命の危機だ。ミランダとして震え上がるほかない。
「ああああああなた、あなた、ノアのあなたがなんでここに……」
「まあねえ。オレもこうまでされなきゃわざわざ出向いてきたりしなかったんだけどねぇ。ていうか、出入りなんてホントはカンタンなのよ。ここの門番、AKUMAには反応するみたいだけどさ。ノアのオレにはてんで反応無しよ。ルルだってだから入り込めたんだしさ」
つまり今アンタを殺るのなんてカンタンって事、わかるよな? とだめ押しで片目をつぶって見せ、いい子だから質問に答えな、と至近の距離からミランダに煙草の煙を吹きかけた。
むせるミランダを尻目に、彼は背後のケースの蓋をあけ、中から光沢のあるブロンズのような濃い青色のペチコートと金糸の裾飾りがついたドレスを取り出した。それから次の箱からは白シルクの、体を締め付けないイタリア仕立ての優雅なラインのドレスを、極上のホーニトンレースが幾重にも袖口を覆う黄色がかったピンクのチュールドレスを、紫のタフタで仕上げたチャイナ風の陶製ボタンのジャケットで上下の分かれたクリノリンスタイルのドレスを。ずるずると広げられ床に散らばった衣装を呆然と眺め、ミランダはようやっとこれらの贈り主が誰なのかぼんやりと理解した。とはいえ何故そんなことをという理由については予想もつかなかったが。

「あ、あああの」
「これねぇ。わりといい値段したのよ。や、オレは請求書見てねぇんだけどさ。管財人のやつがもううるさいのなんの。嫁ももらってない独身貴族が、女の衣装だけで1シーズンにこんなに使うのは異常だってさ」
貴族の流儀などミランダには意味不明だが当の本人がそういうならそうなんだろう。なら別にいりませんから持って帰ってくださいと言おうとしてミランダは口をつぐんだ。
振り返ったティキの顔が恐ろしすぎて。
端正な顔が目の前にある。一瞬で詰め寄った動きに翻弄されミランダは背後の壁に追いやられていた。
「ねえ」
かすれた声が肉食の獣を思わせる。獲物を前に喉を鳴らすあの音にそっくりだ。
「なんで着ないの」
一瞬何を聞かれたか分からずミランダは目を白黒させた。冷や汗が背中を伝って滑り落ちる。
「なぁんで着ないのよ」
言葉とともにのど元に押しつけられたのは真っ赤なジョーゼットのドレス。血の色そっくりに見えてミランダは目を回しそうになる。
「何が気に入らないわけ。こんだけあって気に入るのがないってどんだけ贅沢なのよアンタ」
贅沢。ぜいたくってなんだろう。ていうかノアのこの人が私に贅沢させるってどういうことなんだろう。
どう考えても理由が分からずミランダはともかくも圧迫感から逃れようと正直に応えた。
「だだだだって、着ていく場所が、ありません、もの」
「場所?」
「こ、こういうのは、もっとパーティとか舞踏会とか、そういうので」
「別に普通に着ればいいだろ。トリシアとか着てるよ普通に」
「それは貴族の方の話で……」
「似たようなもんだろ教団だって。お前らの着る団服、あれ釦まで銀でできてるじゃん。バチカンの坊主どもなんか普段から金きらの袈裟着てるじゃねぇか」
泣きそうになりながらミランダは身振り手振り交えてようやく相手に伝わるように理由を説明する。
少なくとも自分はあんな服今まで着たこともないし、教団の団服の銀は魔除けの意味があってのことだし、汚したり破れたりしたらもったいないし、第一あんな派手できれいな服は自分には似合わないからと。
ミランダの言い訳を一応神妙に聞き、ひとつひとつうなずいていた男だったが最後の言い訳に至って、頑として聞き入れぬ姿勢を見せた。
「似合わねぇことないんだって。オレはルルに着させてちゃんと確かめてんだから。お前人の趣味にケチつける気? 着てみもしねぇでさ」
「に、似合いません、無理です、派手です、ルルさんはきれいだから似合うかも知れませんけど私には無理です恥ずかしいです笑いものになるだけですお願いですから持って帰ってくださいぃぃ」
「何言ってんだ。ルルはな、いったん見たものならどんな細部でも再現できるくらいきれーに化けられるんだぞ。そのルルが化けたお前が着てんだから間違いないっての。さあ着てみろ絶対似合うから」
おかしな言いがかりもあったものだが、いったん言い出したら聞かない頑固さでは、この二人意外といい勝負をする。
着ない似合わない、いや似合う着てみろと小一時間ほど押し問答したあげく、キレたティキに力尽くで着替えさせられたミランダだったが、全力で抵抗した後だったのでほれみろ似合うだろうがと言われても、まともに鏡を見る気力は残っていなかった。
同じ理由で反論の気力も残っていなかったため、似合うよな?と言われてももううなずくしかなく、ミランダがうなずいたことでともかくも納得したらしいノアの男は、やっと帰っていってくれた。
これ受け取ったんだから、こないだのことはこれで帳消しな、と言い残して。
力尽きたミランダは床に倒れ込みながらそれが理由だったのかとやっと理解したが、実際あのときショックだったのは服を台無しにされたことではなく、その結果として晒しものにされた自分の姿なのだということは、次に会う機会があったとしても絶対に言わないでおこうと思った。

というか。
「今回もまた見られちゃったわ……」
着替えさせられる過程で当然のこととして、下着まではぎ取られドレスに合わせて取り替えさせられている。
なのに相手が無反応なのはどういうことなのか。
要するによっぽど自分に魅力がないということかと誰にも口に出せない自己嫌悪に落ち込むミランダをよそに、彼女の部屋にはなぜか未だに贈り主不明のまま着る当てのないドレスが届き続けている。
教団内ではミランダ・ロットーのこの僥倖について、ことに女性職員から羨望の声が上がっているが、かように不幸とは、偶然にも最悪な結果の産物として、受け取る本人にしかその辛さを分かり得ないものが多いのである。