その酒を見つけたのはレイオットではない。

  
 従ってそれは断じて彼のせいではない、と思う。  
  
  
 

  
  

 それはいつものように、彼女が資格申請のための書類を持って押し掛けてきた金曜日のできごとだった。
 だいたいこの件に関しては、ネリン・シモンズ嬢がスタインバーグ邸を訪れるのはお休みの日の前の晩と決まっている。レイオットがのらりくらりとはぐらかすのに根気よくつきあうためである。
 実際のところ、ネリンにとっては仕事の息抜きの要素も強いため、夕食が始まるあたりで休戦協定のようになってしまい、食後のコーヒータイムともなれば本来の目的は完全に脇に置かれてしまうことが多かった。仕事の愚痴とか昨今の社会情勢とか隣のおばちゃんが見合い話持ってきて困るとか、まじめな会話からどうでもいいような世間話までとりまぜて、いわばまあ他愛のないおしゃべりをつらつらと続けていくだけで--だからなぜこうなったのか、その経過についてレイオットはよく思い出せない。
 
  
 その日のことで普段とちょっと変わっていることといえばそれはカペルが不在であったことだ。
 普段なら彼女がレイオットのそばを離れることはまずない。それなのになぜその日に限って不在かといえば、なんと彼女は「手に職をつけたい」と言い出してジャックの所に弟子入りしたからである。
 もちろんCSAである彼女がまともな職につくことはできない。だが、それならばせめてレイオットに普段もらっている「お小遣い」分返せるようにしようと--そういうことを考え始めたかららしい。カペルがそういう変化を見せ始めたことについて、レイオットは多少複雑な心境である。だが特に止める要素もなかったので好きにさせた。結果、ジャックに魔法工学について時々習いに行くようになり--本日は遅くなったので、ジャックの所に泊まっているというわけだ。
 ネリンが聞いた時には
「外泊!? しかも若い男の人の所に!? 何を考えているんですかあなたはっ!!」
 と卒倒しかねまじき勢いだったが。
 だからといってジャックとカペルがどうこうなるということについては、やはり彼女の想像の域を超えていたらしい。
 しばらくはぶつぶつ言っていたがやがて自然と次の話題に移っていった。
 その時点で、自分が「若い男の家」で「二人きり」で「夕食をいっしょに食べて」「こんなに遅い時間まで」いるという事実には気づいていないらしいことに、レイオットはなんだかおかしさを感じていた。
    
  
  
「あれ? 替わったラベルですねこのお酒・・・」
 居間のテーブルの上に無造作に置かれた贈答品とおぼしき酒瓶を手に、ネリンは首を傾げた。
 ラッピングを中途半端にほどいた状態で置かれていたのでつい目がいったのだ。
「え? そうなのか?」
「ええ。あんまり見たことないお酒です。すごく高そうだけど・・バーボン? ウィスキー? 会社の名前も聞いたことないなぁ・・・」
 しげしげと見つめる彼女にレイオットは意外そうな目を向ける。
「ひょっとして・・・いけるクチなのか?」
「え? ええまぁたしなむ程度には」
 あまり人前では言えないことだが、ネリンは酒が嫌いではない。しかも量より種類を楽しむ方だ。
「ふーん。それなら飲んでいけば?」
「いえ勤務中ですから」
「勤務中・・・ねぇ」
 既に時刻は7時を回っている。ちなみに次の列車は9時で、それが最終なので、ネリンはそれまで暇をつぶしているわけだ。
「どうせ俺は飲まないし。もらってもどうしようかと思ってたところだ。あんたが片付けてくれるんなら助かるんだけどね」
「そうですか? それじゃあお言葉に甘えて」
 ずいぶん簡単に譲歩したところを見るとかなり飲みたいらしい。
 物珍しげにラベルを読んでいる。
 普段きまじめ一辺倒の監督官の意外な素顔に苦笑しつつ、レイオットは氷とグラスを取りに立ち上がった。
   
   
 飲んだ酒は予想に違わぬ味わいだった。
 飲みやすく、けれどのどを通る瞬間に灼けるような苦みが少しある。
「おいしいですよこれ」
 せっかくもらったのにもったいない。そういわれてレイオットも少し飲んでみたが、彼の場合酒の味はどれも同じにしか思えないので、
「そんなもんかね」
 の一言で終わった。
「スタインバーグさん、まるっきり飲めないわけじゃないんですね」
 以前下戸だといっていた彼の言葉を思い出してネリンは手元のグラスを揺らすレイオットを不思議そうに眺めた。
「飲めないというより飲まないだけだな。飲んでもうまいと思ったことがないから」
 ついでにいえば酒、というものがもたらす酩酊感といったものもわからない。
 以前フィリシスの館に住んでいた時には彼女の晩酌につきあわされたりしていくらか飲む機会もあったが、一人になってみれば少しも飲みたい、という気分になったことがない。
「なんてもったいない」
 大仰なため息をついて、ネリンは3杯目に手を伸ばす。
 トゥワイスアップ、と言われてもレイオットにはなんのことかわからなかったので、彼女が勝手に作るに任せていた。ちなみにレイオットは生のまま飲んでいる。水で割ろうと氷で割ろうと味に変わりがあるような気はしなかった。
「そういうあんたはかなり場数を踏んでるみたいだな」
「え? そんなことはないですよ。たまに一人で晩酌するくらいで」
 つまみがわりのチョコレートとツナサラダもついでにとりわけながら、やや酔いが回ってきたのかネリンはかなり口が軽くなっている。
「晩酌・・・一人で酒場へ行ったりとかするのか?」
「まさか。家でに決まってます。・・・スタインバーグさん、ひょっとしてかなり強いんじゃありません?」
「そうかな」
 レイオットはまだ1杯目をかたづけていない。
 だが生のまま飲んでいるというのに顔色や雰囲気に酔いの要素が全く感じられない。
 たぶん、彼が言う「うまくない」というのは酔えない、ということなのだろう。
 酒のうまさは舌よりはどう酔えるかということなのだから。
「そうですよきっと」
 酒に酔えないレイオットは、けれど戦いには酔う。
 戦っている時の彼はとても楽しそうだ。だがその中に何かしらある種の危うさがあるのをネリンはずっと感じ取っていた。そう。あれは酔っぱらってたががはずれた人間の行動を見るときの危うさに少し似ているのだ。
「物騒な」
「は?」
「いえこちらの話で」
「? シモンズ監督官、あんたひょっとして酔ってるか?」
「違います」
 そういわれてもなんとはなしに感情の起伏幅が大きくなっているような。
「試しに聞いとくが、あんた酔っぱらうとどうなるんだ?」
「さあ・・・酔っぱらうほど飲んだことは・・・」
 この間フィリシスの家で起こった出来事は別として。
「そんならいいが」
「あ、もう8時半ですね」
 9時の列車に乗るにはそろそろ出なくてはならない時刻だ。
「ああ、送っていこう」
 これもいつものことである。本来の訪問目的を考えると招かねざる客のはずの彼女になんでこんな親切をしているのかは・・・レイオットにもわからない彼自身の7つの謎<マイ・セブンズ・ミステリィ>の一つだ。
 そして立ち上がろうとして・・・ふいにネリンの腰が落ちた。
「? どうした?」
「・・・いえなんでも」
 本人の不思議そうな顔をしている。気を取り直して立ち上がろうとして・・・
「んぎゃっ!!」
 今度は派手に転んだ。
「・・・おいまさか」
 床に座り込んでしまった彼女は両手で支えて体を起こそうとしながらさらにバランスを崩す。
 力をいれようとしてもぐらつく関節に愕然とし、次にくらりと頭の中で何かが回る感覚がした。
「まさか・・・」
 ネリンの視線がふいにあがり、半分空になったボトルのラベルに注がれる。
「まさか・・・まさかと思いますがあのお酒・・・」
 見覚えのないラベル。聞いたことのない酒造メーカー。
「まさか・・・フィリシスさんからの頂き物じゃないですよね?!」
 恐怖したような視線をボトルに食い込ませているネリンと、罪のないボトルとを見比べて、レイオットはわけのわからぬままにネリンの予想を肯定した。
「なんでわかった?」
 やっぱりぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!
 彼女の家で飲まされた60度近いバーボンの味を思い出し、ネリンは心中絶叫した。

  
  

***

  
  

 フィリシスが時々妙なものを送ってよこすようになったのは例の誕生パーティ以降のことで、カペルに服飾雑誌を1ダースだの、レイオットにクラシックのCDだの、なんの意図があって選んだのか因果関係に悩むようなものを月に3、4回か送ってよこす。
 この酒もそのひとつで、飲まないレイオットと未成年のカペルにいったいどうしろというのかと本気でフィリシスの頭の中身を心配したものだ。
 ネリンが震えながら「あああの悪夢がふたたび・・・」とつぶやいているのことから推測するとどうやらこの監督官はフィリシスの酒につきあわされたことがあるらしい。
  
  

「おい大丈夫か?」
「あああああやっぱり魔法士なんてろくなもんじゃないんだだいたいなんでアルコール度数入っていないラベルなんか付けてるのよ酒造法違反じゃないのぉあああの性悪ソーサリスト・・・」
 わけがわからない。
「だいたい貴方が悪いんですっ!!」
 がばっ!と起きあがったかと思うと、ネリンは器用に上半身だけでレイオットにつめよってきた。
「貴方が無資格なのがいけないんです! 貴方がちゃんとした魔法士だったらわたしがこんな時間にこなくてもよかったんですそしたらこんなお酒で酔っぱらっちゃってこんな醜態さらしてないんだわーーー!!!」
 さらにわけのわからない理由でいきなりレイオットのせいにされてしまったが、そもそもなにがどう悪いことなんだかそこのところからわからないから反論のしようがなかった。
「あーーーシモンズ監督官・・・」
 おいおいと床に身を投げて泣き出してしまったネリンにきまずそうに声をかける。
「つまり・・・あんた酔っぱらって立てないんだな?」
「・・・そうらしくあるです」
 つまりそういうことだった。
  
  

「明日が休みでよかったな」
 本当に完全に立てなくなったネリンを仕方なしに部屋まで抱えていきながら、レイオットはさらにいうならカペルが留守でよかったとも考えていた。なんでかはわからないが。
「すみません・・・重いですか?」
 ちなみにネリンは今いわゆる「おひめさまだっこ」の状態で運ばれている。足どころか腕の力もなくなっていることがボトルを叩き割ろうとして(レイオットにすんでのところで止められたが)判明したからだ。
「ん? いや。モールドに比べたら全然」
 妙なもんと比べられてしまったが、まあ確かに魔法の補助があるとはいえ全身鋼鉄の鎧を着てあれだけ激しく動くのだから、戦術魔法士というのはえてして力はあるものなのだろう。
 それでもこの自己嫌悪はどうしようもない。
「フィリシスさんのお酒だって知ってたら飲まなかったのに・・・」
「あんた以前もフィリシスの酒につきあったことあるのか?」
「そうなんですよもうあの時も60度近くあるの、黙って飲ませるんだからもう・・・」
「ふーん」
 黙って。アルコール度数の強い酒を。
 それはとりもなおさず目的が酔いつぶすことにあったと思われるのだが。
 フィリシスが何の意図でそんなことをしたのかがわからない。
 飲まれるはずのない酒を届けてきた理由。あの酒のラベルにもアルコール度数が書かれていなかった。レイオットとカペルは飲まない。飲まない以上酔いつぶすことはできない。では誰を?
「あんたフィリシスにうちに来ること言ったか?」
「え? いえ直接は。でもわたしがここにくることはロラン監督官も知ってますからフィリシスさんも多分・・・」
「筒抜けだからなあのへんは」
 ロランは口が軽い上にフィリシスに心酔している。
 フィリシスが聞き出そうとしなくてもそのあたりは筒抜けになっているだろう。
 部屋について、いったんソファの上に彼女を置くと、ベッドメークを軽くやり直す。
 振り返るとネリンは物珍しげに周囲を見渡していた。
「ここってカペルちゃんの部屋ですか?」
「そう」
「なんていうか・・・余計のものは何もない部屋ですね」
 机の上に置かれたタイプライターにうちかけの紙がそのままになっている。それだけが生活感といえばいえた。
「かもな」
 使われたことのないベッドから振り切るように視線をはずし、レイオットはネリンを再度抱え上げる。
「あ、すみません」
 ベッドに下ろして横たわるのを手伝ってやる。
 一瞬覆い被さるようになったとき、ネリンが眼鏡を外した。現れた素顔は童顔なのだが、今日は酒に酔っているせいか妙に大人びて見える。上気した頬の赤みやうるんだ瞳。そういったものは本来男にとってはたまらない劣情の要素になるはずなのだろう。
「? スタインバーグさん?」
 それほど長く見つめていたつもりはなかったが不自然な姿勢のまま固まっているので不審に思われたらしい。首を傾げた時、一瞬甘い香りが鼻腔をくすぐった。
 はかったなフィリシス。
 飲まれるはずのない酒を送ってよこした理由。
 酔っぱらって動けないばかりか警戒心まで無くしているネリン。
 なんとなくつながったような気がして、レイオットは体を起こした。
 無意識に手が襟元にのびる。酒には酔っていなかったが、多少熱さを感じていた。
「お休み、ミス・シモンズ」
「はい。お休みなさい」
 扉を閉めた時、おもわずため息をついた。
「んな挑発にのるほどガキじゃないっての」
 言いながらももしネリンの口からフィリシスの名前が出てこなければ自然の成り行きがどう転んでいたかはわからない。
 苦笑しつつレイオットは自室の扉を開ける。
「ちょっと惜しかった、とかいうのかなこれは」
 静かな邸内に初夏の虫の声がかすかに届いてくる。
 少し風にあたって寝よう。
  雲一つない夜空が明日も天気だと告げている。晴れるといいなとぼんやり思った。
  
  
「お休み、ミス・シモンズ。よい夢を」