Hope has a Place
「………いつかはこんなことになるんじゃないかと思ってたんだ」
腕を組んで軽い溜息とともに呟いたのは、ブライアンだった。
警視に出世して、SSSの統括責任者となったこの男は今でも変わらぬ現場主義を貫き、今日も事件当初から立ち会っていた。
「以前に比べれば少しはマシになったかと思っていたがな! レイオット・スタインバーグ! お前はもう少し周囲の被害というものを考えて動け! 今まで大丈夫だったからなどという経験則など言い訳にならんことは、ベテランのお前だからこそ分かっているべきだろう! だいたいお前は……」
普段の彼らしからぬ説教だった。
むろん、魔法士である彼に、警察官であるブライアンがこんなことを言うのはある意味お門違いである。こういった小言はむしろ、彼を雇った側であるはずの魔法監督官が言うべきことだったし、事実今まで、レイオットの担当監督官であるネリン・シモンズ女史は、己の職務を、飽くことなく忠実に果たしてきていた。
…………その彼女が、ここにこうして、倒れてさえいなければ。
最後の放ったのがマキシ・ブラストだったかヴォルテックスだったか。
実のところレイオットはよく覚えていない。(多分カペルなら覚えているだろう)
ただはっきりしているのは、それで魔族は殲滅できたこと。
そして後ろを振り返った途端目に入ったのが、彼の放った魔法攻撃の余波で跳ね飛ばされた瓦礫の一つが、ネリンの胸部を直撃した瞬間だったということだけだ。
運が悪かった、といえばそうなのだろう。
他の被害者は0だったし、ネリンにしても常ならばレイオットの魔法攻撃が及ぶ範囲にのこのこ出てきていたりしない。
ただその時、たまたま強い風が吹いた。たまたま現場に不慣れな警察官がよろけて彼女を前に押し出してしまった。そんな偶然が重なって、予想外の結果をよんだ。
だが、そんなことは現実、担架に載せられた彼女を前にしてはなんの言い訳にもならない。
おそらく大丈夫だろうとは応急処置をした救命魔法士の見立てだったが、レイオットにとってそのときは誰の声も右から左だった。
運ばれていく彼女を呆然と見送る彼に、ブライアンもさすがに言いすぎたかと顔をしかめる。
まだモールドを脱がぬまま、頭部装甲だけを外したレイオットの顔色は、誰がどう見ても、運ばれていく彼女以上に青ざめていた。
ネリン・シモンズ女史が運ばれたのは、現場から最も近く、かつ救急設備のあるところ、ということでトリスタン市民病院だった。
一人暮らしの彼女はトリスタン市に血縁者がおらず、また職務上の負傷ということもあって、彼女の直属の上司であるカート・ラベルが保護者として呼ばれてきていた。
レイオットともいくらか馴染みのある人物だ。
手術室の前でカペルと立ち尽くすレイオットを認めて、彼の方から近づいてくる。
「………たいへんなことをしてくれたね、レイオット・スタインバーグ」
戦術魔法士は魔法戦闘における人的被害については一切責任を問われない。
それを誰よりもよく知っているはずの男の口から出た台詞に、レイオットは返す言葉もなかった。
「君の実力については十分承知しているつもりだったのだがね」
「………………」
「万が一の場合は覚悟しておきたまえ」
静かな口調が余計に彼の本気を伝えてきている。官僚然としたこの男に部下想いの側面があったとは意外極まりないが、こんな恫喝じみたことを口にするあたり、海千山千の魔法士たちを監督してきただけのことはある迫力だ。
とはいえ、レイオットに反論の気力はない。
彼に言われるまでもなく先ほどからずっと、彼は己を責め続けている。
否、それ以前に何をどうしていいのか分からないでいる、と言った方が正しいだろう。
責めたところで彼女が怪我を負った事実は曲げようがない。万が一と言われたところでそんな事態は想像がつかない――つけたくもない。もし、ほんとうに、そんなことになったら。
全身から力が抜けていきそうな感覚に襲われる。
もし、ほんとうに、そんなことになったら。
自分がどうなるのかさえ、わからなかった。
彼の傍らではカペルが相変わらず無表情なまま付き従っている。
ときおりレイオットに興味深そうな視線を投げるが彼がそれに気付いているはずもなかった。
「手術中」のランプが消えて、中から医師団が出てきたのは、彼女がここに運び込まれてから5時間程経ってからだった。
カート・ラベルと、レイオット、それにカペルの三人を認め、主任担当とおぼしき医師が近づいてくる。
彼らが口を開くより先に、
「手術は成功しましたので、もう大丈夫ですよ。」
と結果だけを口にした。
「そうですか! それはよかった。ありがとうございます、先生」
ラベルが朗らかに礼を述べる。
その口調からは先ほどレイオットを脅した不気味な迫力はどこにも感じられない。
「しばらくは入院してもらうことになります。詳しいことは担当の看護婦から聞いてください」
仕事を終えた医師は、ラベルの丁重な礼に軽い会釈を返しながら立ち去る。
代わりに、若いながらも如何にもベテラン、といった風の看護婦がカルテを片手に「今後の処置」について話し始めた。
「入院は完治までほぼ2週間といったところです。入院手続きはどなたが?」
「それは私が」
ラベルが軽く手を挙げる。慣れているのだろう。考えてみれば魔法管理局の局員が魔族戦闘に巻き込まれて怪我を負うケースは少なくないはずだ。
「貴方は上司の方?」
「そうです」
「そうですか。………で、そちらはご家族の方?」
看護婦が目を向けたのは当然ながらレイオットに対してだ。
彼の未だ血の気の戻らぬ顔を見ての判断だろう。
「あ、いや俺は………」
どう説明するべきか。回らぬ頭でちょうどよい単語が浮かばずにいると、
「いえ、加害者です」
と、ラベルが身も蓋もないことを口にした。
「おいっ!!」
あまりといえばあまりな言葉にレイオットが声をあげると、
「違うと言うなら彼女の怪我が誰のせいなのか、説明したまえ」
と反論不能な台詞が返ってきた。
「そうですか」
看護婦も看護婦で、いささかの不審も表さず二人の会話を聞き流し、
「それで、付き添いの方はどうなさいます?」
と、二人を現実問題に引き戻した。
「付き添い……」
レイオットが抑揚なく繰り返すと、ラベルが顔をしかめて
「やはり必要ですか?」
と看護婦に問う。
「歩行に困難な怪我ではありませんから四六時中というわけではありませんが。着替えや必要なものを手配する方は必要だと思いますよ。ご家族の方はどちらに?」
「母親が遠方にいますが……実はそちらの方も病人に近い状態で」
あとは妹のナレアがいることをレイオットも知っているが、彼女は未成年で就学中だ。学校を休んでまでくるわけにはいくまい。
「そうですか……職場の方では?」
「とても手が避ける状態では」
それはそうだろうな、とレイオットは思う。
残業続きのネリンのぼやきを聞いていれば、他の職員も同じ状態であろうことは容易に想像がつく。ましてそこからネリン自身が抜けるのだ。魔法管理局の恐慌状態が目に浮かぶようだった。
「となると当然、ここは君にやってもらうのが筋だな」
ラベルに肩を叩かれたとき、レイオットは間抜けにも言われた意味が一瞬分からなかった。
「へ?」
「嫁入り前の娘に怪我を負わせた責任はとりたまえ」
「ちょっ……」
と待て、と言おうとする間もなく、ラベルは看護婦に
「面倒は彼がみます」
と言い放っていた。
看護婦もこれ以上話を長引かせたくないのか、ではそれで、とクールに答え、カルテにさっさと彼の名前を記入してしまう。
嫁入り前の娘の面倒を、若い男に任せてしまっていいのか、というごく常識的な問題は敢えて棚上げされたようだった。
「あ、ところで一ついいでしょうか」
もうなるようになれと抵抗を放棄したレイオットを無視して、話がまとまりかけた時、ラベルが思いついたように手を上げた。
「なんでしょう」
「その、怪我した場所が場所だけにですね、跡が残るようなことは……」
デリケートな問題ではあるが、上司としては確認しておかなければならないのだろう。
言いよどむラベルに看護婦が安心させるように笑みを浮かべる。
「大丈夫です。胸部の骨折はありますが、外傷自体は少ないものですし、術時の縫合も魔法治療をほどこしていますから跡が残らないことは保証しますわ」
「そうですか! それはよかった。なあレイオット・スタインバーグ?」
いささか大げさに喜んで、ラベルがいきなり話をふってきた。
「あ? ああそうだな……」
そもそも跡が残るとかどうとかより、傷そのものの心配が先だろうに、とやや投げやりに同意すると、
「いやよかった。彼女にとってもだが、君にとってもね。」
「俺?」
「そうとも。もし傷跡が残るようなことになっていたら、君に責任を取ってもらわねばならん」
「責任て………」
言わんとすることがよくわからない…というよりわかりたくない範疇に及んでいる気がした。
「嫁入り前の娘の体を傷物にしたのだ。どういう意味かは分かるだろう」
他人が聞いたら完璧に誤解されかねない言い回しに固まるレイオットに代わり、カペルが始めて口をきいた。
「それはつまり、レイオットにミス・シモンズを娶れ、という意味でしょうか」
「おお、お嬢さんは察しがいい。まさしくその通りだ。いかに無資格無法の戦術魔法士とはいえ、いい大人が社会的な責任から逃げ出すのは許されんよ。彼が逃げても、私が逃がさん」
なんだかさっきの脅しよりも恐ろしいことを聞かされている気がして、レイオットの顔色はまたしても蒼白になる。
「ま、傷は残らないようだから、今回は勘弁してあげよう。私としても君のような社会生活不適合者と彼女を結婚させるのは望むところではないからね。それでは彼女の怪我が治るまで、しっかり付き添うように」
言いたいだけ言い放って、魔法管理局局長カート・ラベルは完璧に整えられた背広の襟をきちっと正しながら踵を返した。
レイオットが彼を苦手とするのは、実のところ、彼のこの官僚然とした佇まいよりも、どこからどこまでが本気なのかよく分からない類いのジョークに依る。