結局どんなにうらやましくても、ねたましくても、
大事なのはやっぱり自分の方、だから。
[鏡のお城のミミ//ポール&ナタリー]
結局のところ、貴族の結婚においては、政略以外の動機を探す方が難しいのだ。
そのことを誰よりもよく知っているのは、当の本人だろうと彼は思う。
実の母親すら謀略にはめて、公爵に忠義を尽くすのも。
王宮にあがって、王の元で着々と足固めをしているのも。
結局のところ、自分の立場を誰よりもよくわきまえている―否、彼我の力関係を冷徹に分析しぬいた彼女の、自業自得なのだろうと。
だが、彼女がそうまでして望む物がなんなのか、そこまでは彼も知らなかった。
男爵家とその領地を得るためならば、おとなしく母親に従っていればよかった。
確かに愚かな母親はカルネー公爵家にたてつくという暴挙を起こしたが、だからといっていきなり取り潰しにあったり、廃嫡されたりするようなことはなかっただろう。せいぜいが貴族同士の私闘扱いだ。
一時的に力を落とすことはあっても、男爵家の領土は元が豊かだから数年の後にはかつての勢力を取り戻すことも難し くはなかったはず。
けれど、あのとき、彼女は彼とともに母に引導を渡した。生みの親に一生恨まれるリスクを、悲劇を(?)負っても、公爵の養女となる道を選んだ。
何故に、と思わなかった訳ではない。
だが、ポールにとって渡りに船のその取引を持ちかけたとき、彼女の顔には笑顔があった。誠実さを装い、虐げられた娘を装い、幾重にもつけた仮面の下で、それでもはっきりと満足そうに笑うその顔を、ポールは確かに見た気がした。
そして今も、その顔が崩れることはない。
そう。彼女は満足している。今の自分にも。現実にも。
「幸福ですか? 貴方は」
場違いな質問だと彼は思った。
彼女はこれから、彼と婚姻の式を挙げる。
これは、彼と彼女の自業自得。
自分で選んで、自分で為して、自分で得た。
彼は貴族の身分を―ひいては王宮騎士の資格を得るために。
彼女は王と公爵の私的な後ろ盾を得るために。
政略以外の動機付けはない。見事なまでに、彼女は貴族だった。
「ええ、もちろんですわ。ポール様は?」
「幸福ではありませんが、満足はしています」
ぎりぎりの誠実さを保ってポールはその手を取った。
「正直ですわね」
「それでもいいと言ったのは貴方ですよ」
「ええそうですわね。それでもいいのかと貴方はちゃんと確認なさったわ」
「それでも、いいと」
「言いました」
彼女の顔にはりついた仮面のような笑顔は、きっと一生そのままなのだろう。
なぜそうまでして爵位と領地にこだわるのか、彼には解けない謎だし、そもそも知りたいとも思わない。だが、何も知らないまま踊らされるのは彼とて望むところではなかった。その程度の自尊心は平民の自分にだってある。
「貴方が望む物はなんです?」
それだけは知っておきたかった。なぜなんてどうでもいいから、それだけ知っておけば多分、充分だと思った。
かりそめの夫で、それだけの存在ならば、守るべきものだけを教えておいてくれればいい。
せめてもの義務だと言い聞かせた。
「私の望み? 何も」
虚をつかれたような顔だった。けれど、嘘だ、と彼は思った。
「ならばこの結婚に望むことは?」
「何も」
「ならばなぜ?」
つ、と首を傾げた彼女は、その答えが本当に思いつかないようだった。
その表情と仕草に彼は愕然とする。
「貴方は何を考えている?!」
思わず声を荒らげたのは、彼女がいっそ呑気にすら見えたからだろう。
今までなんのために賢しげに立ち回って、今日のこの日を迎えているのか。
ポールの剣幕に、彼女は目を丸くして彼を見返していた。
やがて、ああ、と何かに納得したような顔になる。
「そうですわね。ポール様には不思議なのでしょうね。なぜ私があなたと結婚するのか」
「・・・ええ」
渋々と彼は認める。取引の結果なのだとその前提が否定されたような気がしていたからだ。
「私の望むことは、多分そんなにたいしたことではないのです」
「領地ですか?」
「いいえ」
「では爵位?」
「それはポール様の方でしょう」
嫌みかと思ったが無視して続けた。
「では財産?」
だんだん月並みになっていくな、と思いながら。
「いいえ。それすらも。本当に望むところではありません」
「ではなんです」
「ごく、平凡な、つまらないことですわ。私はただ普通に生きていきたいだけですの」
「普通に?」
誰よりもふてぶてしく、誰よりも冷徹で、誰よりも謀事に長けた女には似つかわしくない言葉だった。
「ええ。ごく、普通に。誰にも脅かされず、誰にも理不尽な目に会わされることなく、何者にも従わされることのない暮らしを」
「可能だと思いますか、貴方にそれが」
「難しいでしょうね。貴族ですもの」
鵜の目鷹の目の利権争い。笑顔の下にナイフを隠した暗殺者。クモの巣のように張り巡らされた謀略の罠。
「もしかしたら」
ふとポールは思いついたままを口にする。
「貴方は、貴族に生まれない方がよかったのではありませんか」
その問いに、ナタリーは笑った。その笑顔は儚くもなければ悲しげでもなかった。ただ覚悟を定めた、運命を受け入れた女の顔だった。
「いいえ」
「貴族だからこそ、私なのですから」
ナタリー・ド・デミ。
どうしても、それ以外のものにはなれない。それすらも脅かされたくはない、彼女のものだから。
けれど、それを捨てることが、彼女の望みを叶えるいちばん早い方法ではないだろうかと彼は思う。
いっそ全てを捨て去れるような恋のひとつもすればよかったのだ。そう、例えばミミとエリックのように。
それを見透かしたかのように、ナタリーは言った。
「私はミミ様ではありませんわ。あの方のようには生きられない。だって私は―――」
それが彼が見た、彼女の本当の顔だった。
控えめで聡明な笑顔の下にある、戦士のようなその顔。
「私は私がいちばん好きなのですもの。どこまで行っても、誰を好きになっても。私以上に大事なものなんてきっとないのですもの。小さい頃からわかっていましたの。私の我の強さは、私の不幸です。私には全てを捨て去るような恋などできないのです。だから私はもう躊躇いません。私は「私」を守るためならなんでもするんですわ。望むことはそれだけです。私が私であるために必要なもの。それだけですわ」
例えばそれはナタリー・ド・デミ。その名前だったり。
例えば運命に翻弄されまいとする強さだったり。
ただ自分らしくありたいと。
それがこんなにも我が儘に、贅沢に、傲慢なことのように聞こえる。
我の強すぎる自分を、あなたはそれでも守りたいと言う。
いつか何もかもなくして、瓦礫の上に立つのだとしても。
貴方はそれでも自分さえ残っていればいいというのだね。
なんて勇ましく、なんて傲慢なその覚悟。
「・・・わかりました」
迷いなく、その手を引いて彼は祭壇に通じる扉を開ける。
貴方が誰を愛せなくても、それは貴方の罪ではない。
ただそんな風にしか生きられない。それが罪だと断じることは誰にもできない――させはしない。
彼が守るべきもの。守らなくてはならないもの。
なぜなんてどうでもいい。ただ守るべきものだけ教えておいてくれればそれでいい。
騎士道なんて、そんなものじゃないか。単純でいいよなと彼は晴れ晴れと笑った。
様々な思惑が交差する、その真ん中に敷かれた赤い絨毯に一歩踏み出しながら、彼は彼女に誓った。
「俺は、『貴方』を、守ります」