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「遅い……」
左腕の腕時計に手をやってネリンはわずかに焦りの滲んだ声でつぶやいた。
ケースSA発生から3時間半。
またしても臨時として呼び出されたレイオット・スタインバーグが現場に突入してからおよそ2時間が過ぎようとしていた。
「大丈夫だろう。測定値は完全にダウンしていっている。あいつは失敗していないはずだ」
「大丈夫です。魔族はもういません」
ブライアンとカペル、二人の言葉はそれぞれ経験と数値双方に裏打ちされたもので、十分に信頼には値する。
だが、それはケースSAの鎮圧、という点においてのみの話なのだ。
魔法士-実戦力として投入された兵器-の無事を保証するものではない。(もちろん魔法士である彼が無事ではない、という事態はイコールとして魔族化の危険性をはらんでいるのだが)
そして非合法の魔法士であるレイオット・スタインバーグはむろん、その生死の保証について、魔法管理局はいっさい責任を負わない。
だがだからといって、見殺しにしていいはずもなかった。
見殺しには―――絶対にできない。
ホルスターにさげたハンティングホークの銃弾装填を確認すると、ネリンは「確かめてきます」といいおいて、ブライアンの制止もきかず走り出した。
そんな彼女の背中を、赤い瞳の少女は何も言わず見送っていた。
発生していた魔族は意に反して手強かった。
クラスとしては子爵級で、普段ならばさほど手こずるレベルではないのだが、やっかいだったのは属性として分裂能力を有していたことだった。2体にわかれた相手を一撃でしとめるために彼はまたしても「アクセラレータ」を使わざるをえなかった。
「やれやれ……しばらくこうしているほかないな。」
壁に持たれた姿勢で座り込んだまま彼はつぶやく。
この魔術を使うといつもこうだ。
もっとも最近はコツを覚えてきたのでかなりセーブして使えるようにはなってきている。・・いや体の方が慣れてきているのか。
( それはそれで厄介だな )
慣れは慢性的な油断につながる。油断は隙へとつながる。一瞬の隙が―――死を招く。
そういう世界に彼はいる。
( まあ今更、惜しむ命でも――――ないとは思うんだが )
以前ならそれでよかったのだが、このごろはそんな後ろ向きな思考に及ぶと必ず脳裏に浮かぶいくつかの顔があって、わけても知り合って間もないはずのあの管理官は特に、その存在を大声で主張しているものだから、今更ながら、今死にたくはないなぁとか思ったりする。せめてあの管理官が担当である間は。
「まあた、怒られるな。これは」
生死よりもむしろ、そちらの方がおっかないと思う自分がなんとなくおかしかった。
「スタインバーグさん!?」
意中の監督官の声に、視線だけ動かせば通りの向こうから彼女が駆けてくるのが見えた。
「大丈夫ですか!?」
「・・・ああ」
拘束具越しで、うまく声が出せたかどうか分からなかったが、ともかくも意図は伝わったらしい。
ほっとした表情で、彼の仮面の留め金を外す。
まだ血の気の弱い顔を見て、すぐに事情を察したようだ。
「またあの魔術、使ったんですね!? あれは危険だからできれば使わないでくださいってあれほどーーー」
たちまち説教モードに入るネリンだったが、苦笑するレイオットの顔色を見て、心配の方が勝ったらしい。
「・・ほんとに大丈夫ですか?」
「な…んとか……いき、てる……」
本当のところは口をきくのも一苦労だったがこれ以上心配をかけたくはなかった。なぜといってもなんとなく。
「立てます?」
「――――――あ、あ」
自信はなかったがやってはみた。
その結果。
がしゃん。
派手な音をたてて、膝が落ちる。
「スタインバーグさん!!」
悲鳴のような声が上がって咄嗟にのばされた腕が彼を支えようとする。
だが、総重量100kgを越える鋼鉄の鎧と、成人男子一人の体重を支えるにはその腕はあまりにも細すぎた。
結果、倒れかかる彼を支えるようにしてネリンも地面に座り込んでしまう。
「――――ムリ、しないで下さい」
「すまな、い……」
ぐったりともたれかかってくる彼の重みを感じながら、ネリンは不思議な気分だった。
いつもなら飄々とかわしてばかりのこの男が、今、彼女の腕の中におさまっている。
肩口にあずけられた頭の重さになぜだか安心していた。
ああ。この人は。
まだちゃんとここにいる。
ちゃんと、生きて、ここに。
「すまん、ね…」
「いいんです、もう」
いつも感じる苛立ちや怒りは鳴りを潜めていた。錆びた匂いのする鋼鉄の鎧の冷たさも今は気にならない。
これはこの人が、この人でいるためのもの。
この世に唯一、この人を繋ぎ止めておくもの。
( ありがとう )
彼女が何に感謝するかといえば今はこの鎧にしかなかった。
「シモンズ監督官」
腕の中の男があいかわらずぐったりとしたまま彼女の名前を呼んだ。
「意外と―――――」
「はい?」
「………………いやなんでもない」
後に続く言葉をふいに断ち切ったのは正直口をきくのも億劫だったせいもある。
いい胸をしてるな、などと言ったらはり倒されて見捨てられることは間違いない。
もうしばらく体をあずけていたかった。
薄暗い通りの路地の隙間から、秋の澄んだ日差しが差し込んで、舞い上がる埃をきらきらと照らしている。
先ほどまで魔族が支配していた荒漠とした緊張感は消えて。
今はこの小さな腕が作り出す静寂の中にいる。
こんな風にして、自分はほどかれてしまうのだと思った。
他愛無くも小さな腕、いつも変わりない平凡な空気、頭の隅で声を上げる自分を宥めるような暖かさによって。
「………スタインバーグさん?」
ふいに途切れた会話に不審を感じて視線を落とせば、腕の中のその人は安らかな寝息とともに眠りの園に落ちていた。
「あの―――」
声をかけようとして躊躇い、揺り起こそうとして腕に力を入れ―――
「ま、いいか」
結局、ため息とともに諦めた。
そんなある秋の日々。是良日なりと。