「好きなままで長く」 銀色夏生

わたしは泣かない

 カーラジオから聞こえてくる歓声。
 運転席で「よーし、やった!」とか我が事のように喜んでいるのは、まぁ微笑ましいと言えばそうなのかもしれないけれど。
 見合いの席で、相手の事おかまいなしでっていうのはどうかと思うのよ。ねぇ。

「いやー、やっぱ、ヴェルディだよね。いいFW揃ってるしさ。藤代なんか、絶好調だよね。 こないだハットトリック決めた時もさーーあ、サッカー好きだって聞いてたけど、知ってるよね?」
「…………ええ。」
 どうやらお互い共通の話題だと思っているから気にしていないらしい。
 まあ切り口としては悪くないかもしれないけど。
 やっぱヴェルディだよね、なんて好きでもないチームだったらどうする気だったのかしら。
 やっぱ巨人だよねと押して、日ハムのファンなんですと答えられたら話は弾むまい。
 ようするに、自分のことしか話さないタイプ。どこにでもいるわね、こーゆーの。
 一見では愛想よくっていい人っぽいんだけど。
 独善的で退屈。
 
 とんでもなく正反対。

 気付かれないようにため息をついて、窓の外に視線を転じた。
 あの男は、一見して「悪い男」だった。
 髪は染めてるし、ピアスだし、自主留年してたし、ケンカも好きだし、サボりも常習犯だったし、何より笑い方がそうだった。
 人付き合いはよかったけど、自分の事は何にも話さない。
 自分が話すより人に話させて、それについてどうこう批評したりしなかったし、簡単に同意したりもしなかった。

「俺もね、中学の時やってたんだ、サッカー」
「まあ。そうですの」
 車の中で唯一の救いは相手の目がこちらを向いていないことだ。隠しようもなく退屈そうな表情を見られずにすむ。
「地区大会でいいとこまでいったんだよね。その時の後輩が今ヴェルディにいるんだ。2軍なんだけどそこそこいいとこまで行ってるみたいでさ。だから余計に応援しちゃうんだよね、このチーム」
「まあ」
 だからナニ? まあ後輩思いなのねとでも言ってほしいワケ?
 がんばってるのは後輩であなたじゃないし、多分向こうはとうに貴方のことなんて忘れてるわよ。
 そうよ、何年経ってると思ってるの?
 顔見りゃ挨拶の一つくらいはしてくれるかもしれないけど、今でも連絡を取り合ってるわけじゃない。
 目の前にいなきゃ思い出されもしない程度の間柄。ことさらに自慢するほどのものじゃないでしょう。
 わずかな苛立ちは相手より自分に向けたものだとすぐに気付く。
 気安げな笑顔が癪にさわった。
 男が愛嬌ふりまくんじゃないわよ。
 相手の機嫌くらい察しなさいよ。

「麻衣子さんは? どのチームが好きなの?」
「————実は中学時代の同級がマリノスにいるの」
「へえ、じゃあやっぱりマリノス?」
「いいえべつに」
 素っ気なく言い放つと、相手の笑顔がこわばるのがわかった。
 こういう言われ方に慣れてないんでしょうね。女は愛想がいいもんだって誰が決めたの?
 これでサンガにも知り合いがいるとか言ったらああそれでとか思うのかしらね。
「サッカーは好きだけど、別に好きなチームはないわ」
 正直に言ってやったのに、相手はさらにわけがわからない、という顔をした。
 自分の尺度でしかものを考えられないから予想外のリアクションに対処できないのよ。
 人形相手にでもしゃべってれば? RPGみたいにパターン化された会話にドキドキなんて感じるわけない。

 サッカーは好き。
 見るのは好き。
 やるのはちょっと好き。
 中学の頃は結構夢中になったけど、高校にはサッカー部なんてなかったからあっさり辞めてしまった。その程度の好き。
 だって他に好きなもの、やってみたいこと、いっぱいあったもの。どれが特別好きかなんて決められなかったの。
 どっちが好きかは答えられても、何が好きかはわからない。そういう歳だった。
 あなたや小島みたいに一生の夢なんて見られなかった。
 だって私たちあの頃はまだあんなにちっぽけで何にも知らなくて。
 どうしてそんなにさっさと決めてしまうの? まるで生き急いでるみたいに。
 私は私のペースでしか進めないから、どんどん先にいっちゃう貴方たちといっしょに走ってなんかいけないわよ。

 7年という歳月は短いだろうか、長いだろうか。人が夢を見るのに。

 あの頃。まだ先のことなんてなにもわからなかったころ。
 同じ場所、同じ時間、同じ熱を共有していたあの瞬間。
 今はもう、あの頃と同じ瞬間の熱さを感じる事はできないけれど。
 あの頃の時間よりももっと大切な、もっと痛くて重い記憶が積み重なって覆い隠してしまっていても、何かの弾みさえあればとても簡単に蘇ってくるのよ。
 例えば同じ空の色とか。懐かしい名前の響きとか。そんな些細なことだけで、離れてしまった時間も距離も一瞬で0につないでしまう記憶が。
 忘れることなどきっとない。でも思い出すこともきっとない。
 そんな風に思う痛みを裏切るように。

『決まりました! 藤村! Vゴール!!』

 あーーっ、ちくしょう! とか隣の男がハンドルをたたいてる。
 そうきっと。
 人生の航路はどっち向いてるかわからないから、貴方たちが先回りしたと思ってるどこかの道は案外あたしのすぐ前と交差してたりするのかもしれないわね。
 そうして出会えたら素敵ね。
 そうやって出会えるかもしれないから、生きてるっておもしろいわね。

 だから。

 今は会えなくても、私は泣かない。
 タイミングが大事だから、今は泣かない。