Fools Rush In
好きになってもいいのでしょうか。
そんな控えめな相談を受けたとき、真崎杏子は即座に思った。
ぶっちゃけ、やめときなさい。
だが、そう彼女に告げればおそらく盛大に誤解されそうだったので、明確な解答は避けておいた。
アレを好きになれば、確かに彼女が思うような障害もつきものだろうし、第一相手にされないだろう、というその印象は99%くらいの確率で正しい。
『そうですよね。瀬人さんはお忙しい方だし。私とは・・・なんていうか生きてる世界も違う人だし。』
この民主主義のご時世に何を時代がかったことをと、普段の真崎杏子ならば檄を飛ばすところである。恋に身分の上下無し、あったしの好きな相手なんて古代のファラオさまよー、と冗談めかして元気づけるくらいお手の物だ。
だがしかし。
『瀬人さんくらいの方だったら、もう恋人のお一人くらいいらっしゃいますよね、きっと。』
そう言ってはかなげに微笑む彼女の中で理想化された(そしておそらく120%くらい美化された)海馬瀬人氏について、真崎杏子はそんなことはないわよ、そういう相手がいるっていう話は聞かないわよ、とようやくそれだけは正直に答えてやれた。
だがしかし。
でもね。静香ちゃん。
アレを好きになるのは・・・・やっぱり止めておいた方がいいような気がするわ。
何ていうか・・・・・・・・人として。
真崎杏子に言わせれば(そしておそらく城之内克也を筆頭とする関係各位に言わせれば)海馬瀬人は人非人である。
冷酷だとか、傲慢だとか、そういう世間一般の非道な評価とは別のところで、人ニ非ズな感じの人間である。
考え方とか価値観とか人生観とかなんかそういうレゾン・デートルに関わる部分がそもそものところで、普通の人類とくい違っている。
生きている世界どころか、呼吸をしている次元すら違いそうだ。むしろアレはアレ専用の次元で生きていると考えた方が正しい。SF映画では眼に見えない世界を4次元とかいってタイムマシンがしまってあったりワープができたりするらしいが、アレなんか自力でそーいう次元くらい作りそうだと思う。いや多分思いついたら絶対作る。デュエル専用第7次元とか。
アレを「人類」の範疇に入れるのは生物学的に仕方ないとしても、「人間」の範疇に入れるのは文化人類学的に間違っている。
真崎杏子はそう思う。
彼女の好きな相手にしたところでかなり変わっていたりもするが、それは3000年の超古代の叡智とかエジプト文明の神がかり系とかそういうのが絡んでいるからまだ納得もできる範疇だ。
アレなんか、産まれて僅か16年でアレだ。16年で超古代文明でもたちうちできないレベルだ。
心の中でさっきからアレ、アレ、と連呼するのだって、アレをなんと呼ぶべきなのか未だに区分がつかないからだ。だって、アレは海馬瀬人という生命体であって、それ以外のものではない。・・・多分。
・・・なんてことを考えていたら、肝心のソレが珍しくも登校してきていることに気づいてしまった。
一般生徒と一線を画す白い学ランは襟のところに気恥ずかしくも金の縫い取りなどあったりしてホント、どういうセンスなんだと杏子は彼の美的感覚を疑う。
だいたいこの男が普通の公立高校に通っていること自体が何かおかしい。仮にも海馬家の御曹司だというならばどっかのお坊ちゃまお嬢さまの通う名門校とか、学力に応じてスキップできる欧米の大学に留学とかそういうのに通うべきだろう。いや通ってほしい絶対。
もともと出席日数だってぎりぎりだし、クラスの行事に参加したりなど絶対にしないし、ああやって鞄にしまっている教科書は2学期も終わりに来ようという今になってさえ折り目一つなく新品同様だ。彼に取ってはおそらく学校の授業など寝ててもこなせるレベルだろう。英語だって薄給の公立高校の教師なんかよりはるかにネイティブのはずだ。
なのにどうしてか未だに転校も中退もせずに律儀にヒマを見つけてはこの学校に来ているのは多分遊戯のため(?)だろうと真崎杏子はふんでいる。M&Wだけを価値判断の基準にしている彼にとって、稼業を除いて居るべき場所を定めるとすれば、好敵手のいる場所だけなのだろうから。
ああ迷惑な。
そう思うと憂鬱だった。アレに恋路を邪魔されるのはいかにも面倒だ。まったくもってたちうちできそうにない。下手な恋敵より厄介な感じがする。アレを蹴る馬を探すとしたら魔界の馬とかそういうのがいる。多分絶対。
我知らず睨みつけていたからだろうか。
相手がふとこちらに気づいて視線を泳がせた。
一瞬眼と眼が合うものの、無表情なその視線はきっかり2秒で離れた。
そのまま我関せず、とばかりに背を向けて立ち去りかける。
こちらの思惑など知ったことではない、という態度がありありとわかって思わずムカついた。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
不思議そうな視線を向ける遊戯を置き去りに、廊下で追いついた彼女は小声でその背中に声をかけた。
なぜに小声なのかといえばただでさえ人目を引く男にただでも売りたい喧嘩を買わせるためだ。
周囲のギャラリーに邪魔されたり好奇の眼で見られたり、あまつさえ噂の種になってしまったりするのは得策ではない。
「なんだ」
いかにもうっとうしそうな声で相手は振り返った。
「ちょっと話があるのよ」
「オレにはない」
にべもなく言い放って踵を返そうとするのを遮って、仁王立ちする。
「あたしにはあるのよ」
「どんな用だ」
うんざりした表情がなおさら癪に触った。
「ちょっと顔貸して」
これほど傲慢な相手には人間の礼儀など不要だろう。そう見切りを付けて杏子は思い切り顎を斜めに上げて屋上に向け親指を立てた。
「で、なんの用だ」
やや風の強い日だった。
屋上は幸いなことに誰もおらず、真崎杏子と海馬瀬人はまるでデュエルをはじめるがごとき姿勢で正面から対峙している。人が見たら果たし合いかと思うだろう。・・・概ねその予想は間違っていない。
「・・・アンタ、もうちょっと普通の男になってみる気、ない?」
大真面目に切り出した彼女に、相手がやや面食らった顔を見せた。
「・・・?」
実際のところ彼女がこんなことを言う筋合いはない。
ないのだが、打開策が見つからない相談事などされてしまって、らしくもなく頭を悩ませた原因がこの男だという、その一点がなんにせよ彼女の気に障るのだ。
少なくともこの男がもうちょっとでも、人類の範疇に収まるような男だったら、この1件はフツーの「恋愛相談」で終わっていた。
いきなりな彼女の発言に、相手は一瞬判断に迷ったようだったが、しばらくの沈黙の後にいたって冷静に返してきた。
「オレのどこが普通ではないというのだ」
自覚がないのか!
思わぬカウンターに一瞬で膝がくだけた。
そこから話を進めなくてはならないのかと思うと気が遠くなりそうだ。
「じゃあ、聞くけどアンタ世間一般の男子高校生がどんなことに興味持ってるのかってこと、わかってる?」
「遊びと女」
「わかってるんじゃない」
どうやら意思の疎通は図れそうだと安堵した彼女は思わず感心したような声を上げた。
あまりに価値観のずれた返答が返ってきたらどう矯正してやろうかと思っていたがこの分なら話は早そうだ。
「じゃあ、普通の男子高校生であるはずのアンタは多少なりともその2つに関心あるんでしょうねぇ?」
「・・・・・・あるとも」
若干及び腰ではあったが、言葉尻を捕えるには十分な答えだった。
「それなら話は早いわ」
「何がだ」
「実はアンタのこと好きだっていう娘が」
「断る」
言い終わらないうちに断固としたリターンが返ってきた。
「相手も聞かないうちに断るってどういうことよ!」
「興味がない」
「多少なりとも関心あるって言ったじゃないの、たった今!」
左腕にまかれた腕時計を指差して彼女は声を荒らげた。
何時何分何秒そう言ったと返してきたら即座に時間を上げてやる。そう思って時計でちゃんと計っておいてある。
「関心がないわけではない」
「じゃあ話くらい聞きなさいよ」
「時間がない」
「作りなさいよ!」
「話しても無駄だ。返答は同じだ。だから無駄な時間は作らない」
「どうしてよ」
「いう必要はない」
キャッチボールというより二死満塁をファールで粘っているような会話がとても胃をささくれ立たせてくれる。どっちもいい加減に終わらせたいというのが本音のところだ。
「彼女になんて返事すればいいのよ」
「そのままの通りを」
「ふられた理由くらい知りたいじゃないの。女の子ってそういうものよ。だからアンタはデリカシーがないって言うのよ」
「・・・・・・本人不在の状態でカタをつけてしまうのはデリカシーがないとは言わないのか」
珍しくも正論だった。
自分越しではなく、直接言いにくればまともに返事を返す、という意味だろうか。
「じゃあ会うくらいはいいのね? 会ってその娘がちゃんとアンタに自分の気持ちを伝えたらまともに返事するのね?
「・・・・・・・・・ああ」
いかにもイヤそうではあったが、仕方がない、という感じで海馬瀬人は肯定した。
その2日後。
問題の当人と電話で話をつけた杏子は、意気揚々と海馬瀬人に彼女の来訪を告げた。
曰く、今日の放課後彼女が来るから時間を取ってほしいと。
「なにしろ遠いから。駅で待ち合わせね。あ、それと城之内には絶対気づかれちゃダメよ」
「・・・言われなくても気取られるようなヘマはしないが、なぜ凡骨が関係する」
「だって大事な妹がアンタみたいな男に惚れたなんてことアイツが知ったらどうなると思うのよ」
どうせ放課後には会うことだし、と杏子は思わず相手の正体が分かるようなことを言ってしまった。
その瞬間。
ガターーン! という派手な音がして椅子が倒れた。
何事かと視線をやれば、蒼白になった海馬瀬人が、硬直した指先で鞄を握りしめて震えている。
「どうしたの?」
「いっ、いやっ! なんでもない!」
声がうわずっている。ここまで取り乱した海馬瀬人、というのはかなり珍しい・・というより初めてではないだろうか。
「きょ、今日の放課後はダメだ。たった今用事を思い立った! そういうわけでまたの機会にしてくれではさらばだ!」
引き止める間もあればこその勢いで、たった今登校してきたばかりの男は脱兎のごとく踵を返すと朝のホームルームがはじまる前に早退してしまった。
「なんなのよー」
せっかくお膳立てしたのに、とむくれる杏子の足下には、真新しい教科書が散乱している。
彼が空の鞄を抱えて帰ってしまったことは疑いなかった。
その後、ただでさえ少ない海馬瀬人の出席率はアメリカ進出の激務を言い訳に下降の一途をたどった。ようやく登校してきた彼を捕まえてはドタキャンした約束の再取り付けを繰り返した杏子は、何度目かの失敗の後にようやく朧げながらにではあったが彼の真意を計りつつあった。
どうやら彼女は彼の鬼門らしい。
・・・それどころか名前を出しただけであからさまに脅えている。リボルバー片手にかつての部下をスーツケース・ギロチンにかけた男が。
どうやら彼は彼女の前では「いい人」でいたいらしい。
・・・それは無理だろう。というか人であるかどうかも疑わしいレベルであるくせに何を生意気な。
結論。
海馬瀬人は・・・・・・
それ以上は言葉にするのも馬鹿馬鹿しくなって真崎杏子は思考回路をサーキットアウトする。
今のところそれに気づいているのは、アメリカでけなげに兄の帰りを待つ少年以外には彼女だけだったが、本人すら自覚できないレベルのなんとやらをどうにかしてやる義理もないので黙って見過ごしてやることにした。
ってゆーか。関わりたくないのよ。本音のところ。
骨折り損、とはまさにこういうことを言うのだろう。
慣れないことはするもんじゃないわねと真崎杏子は大きく伸びをした。
他人の恋路は面白いが、人外の恋路ははた迷惑きわまりないと相場が決まっている。
海馬瀬人の苦手なものは。
おでんと川井静香。
知りたくもないプロフィールは、公開された時のリスクを考えれば情報源としても売れそうになかった。