藤代誠二は悩んでいた。
 普段の彼らしからず悩んでいた。
 少なくとも夕食の炊き込みご飯の中からニンジンを抜くのを忘れるくらいには悩んでいた。
 傍らにいた渋沢が、「藤代、ニンジン食えるようになったのか。お前も高等部に来て成長したな」と感心するのを聞いて初めて吐き戻しそうになったほどだ。藤代誠二、一生の不覚。
 だがそんな(彼にとっては)大事も、これからとりかからねばならない恐怖のアレに比べればまだかわいい失敗のうちだった。
 毎度毎度のこととはいえ、月に2度のその儀式に備える彼の背中は逆転をかけたPKよりも真剣さに満ちており---同室の笠井の心配そうな視線を受けながら、散々迷って迷い抜いた末にペンを取った時には夜中の1時を過ぎていた。

「・・・で、できあがったのがコレ?」
 『勝ったぞ、元気か』の一言とVサインと自分の似顔絵とおぼしきイラスト。筆ペン一本にしては達筆な出来映えだ。
 描いた本人は自信満々でイラストと同じVサインをしてみせる。
 だが、周囲の反応はいまいちだった。いやいまいちどころか完全に呆れ果てていた。
「ダメやろこれは」
「ダメだな」
「ダメダメだ。こんな主語も目的語もないような文章にわざわざ海外料金払う気かこの国辱級バカが。てかお前コレ、肝心の用件が完全に抜けてるだろうがよ」
 4者4様ではあったが、翌朝、いつものようにチェックに立ち会った笠井、藤村、辰巳、三上の4名は、全員ダメ出しをする。

 

 朝練後の部室。新キャプテン渋沢と新司令塔水野を欠くとはいえ、名門武蔵野森学園高等部サッカー部の1軍主力メンバーが顔首そろえて1枚のハガキを取り囲んでいるのはかなり異様な光景だった。
「じゃあ、三上先輩書いてくださいよー。だいたいオレ、手紙とかって苦手なんスよ」
「バカいえ。なんでオレがあんなおぼっちゃんのためにそんな手間かけなきゃならねんだよ。ただでさえ2年に上がったアイツに10番ゆずらなきゃならなくて腹立たしいってのに」
「だいたいお前が安請け合いするのが悪い。フェミニストと八方美人は違う。五十歩百歩に見えても確実に五十歩違うのと同じくらい違うんだぞ」
「いやなんかそれ引用が違わんか?」
 笠井の強引な理論に藤村がつっこみを入れた。
「いいから早く直せ。水野に見つかったら彼女にシメられるんだろ?」
 辰巳が用意よくもう1枚ハガキをとりだす。計画性を重んじる新書記は既に最初の没稿を予想していた。
「えーいいっスよーーもう。時間ないし。今んとこ報告するようなコト起こってないし」
「そんなことないやろ」
「そうだ。ほら、この日誌に水野が今月、放課後体育館裏で告られた回数は書いてあるから」
 なんで日誌にそないなこと書いてあるん? あやうくまたつっこみそうになった藤村は自粛した。
 これ以上話を脱線させたら、朝の1時限目に確実に間に合わなくなる。
 それにしてもさすがは名門武蔵野森。全国かけて集められた選りすぐりは余計な意味でも奥が深い。
「そんなこと書いたら彼女怒って何言ってくるかわかんないスよ! もうオレこのまんま出します! 放課後までに三上先輩が代案書いてくれなかったら出しますからね!」
「こらまてなんでオレだ」
「だってこの中でいちばん三上先輩が・・・」
 キレたはずみでいいかけた言葉が尻すぼみになる。
「オレが?」
「・・・・・・いちばんタラシだから・・・」
 予鈴15分前のチャイムとともに、三上の見事なヘッドロックがきまった。

 私立武蔵野森学園。
 共学である。・・・・※一応
 と、中学までは米印赤線つきの注釈をつけていただろう。
 中等部の武蔵野森は男女共学とはいえ、男子部と女子部が校舎ごとわけられており、フェンス1枚隔てた向こうは完全に行き来を封鎖されていているという、いわば「エセ共学」であり、そのノリはほとんど男子校・女子校と変わりなかった。
 だが、さすがに高等部ともなれば男女席を同じゅうせず、などという時代錯誤な規則はなくなり、男子部も女子部も同じ校舎・同じクラス割りで3年間を過ごす。同じでないのは寮くらいだ。

 しかしながら、他校生からみる武蔵野森のイメージは、中等部のソレが定着しているせいで、いくら文武両道の名門校とはいえそんな華のない生活はちょっとーな誤解がある。
 桜上水からサッカー推薦で進学してきた水野と藤村もご多分に漏れずその一人であり、かつたまたま4月の頭に武蔵野森女子サッカー部との練習試合にやってきた、小島有希もその一人だった。

「・・・・・・どういうこと?」
 ちょっといいかしら藤代クン、などとにこやかな笑みとともに呼び出され、さては告白かこのやろういい思いしやがってと先輩後輩含めた周囲の羨望の眼差しを浴びつつ校庭の隅にやってきた藤代誠二は、なにがどういうことなのか分からぬままに、なにかしらやり場のないものを罪のないフェンスにぶつけた彼女の握り拳を眺めていた。
「えっとーーーーー・・・・・なにが?」
「確か武蔵野森って、男子部と女子部は完全に別れてるって以前言ってたわよね?」
「あ、うん。中等部まではそうなんだけどね、高等部からは男女いっしょ・・・」
「聞いてないわよ!」
 最後まで言い切らぬウチに、美少女小島有希がその首を締め上げる。
「え、オレ言ってなかった・・・・ってなんでそんなこと言わなきゃならなかったりするの?」
「迂闊だったわ・・・てっきり男子校並みだと思ってたから敵はシゲくらいだと思ってたのに・・・」
 シゲ? 敵?
 締め上げられた首をさすりながら、藤代は未だに彼女の不機嫌の理由がよくわからずにいた。
「藤代クン」
「ハイ?!」
 振り返った彼女の何かに決意したような眼差し・・・そのヒカリはかなり凶悪といっていいものを帯びていた。
 ああオレこんな眼どっかで見たことある。
 そうだ。三上先輩がなんか底意地の悪い嫌がらせとか思いついた時の眼だーーー。そう気づいた瞬間、藤代は100%本能レベルで踵を返していた。
「じゃっ! オレそーゆーことで!」
「お待ち。」
 冷徹な一言と、強靱な指が、彼の襟を後ろから拘束する。
「こ、小島さーーーん・・・暴力反対・・・・」
「うるさい。ガタガタ抜かすんじゃない。自慢の足をへし折られたくなかったら約束すんのよ、いいわね・・・・」
 そういって出された条件が。
 この月に2度の儀式につながったりするわけだが。

「タツボンも罪作りなやっちゃなー」
「その小島って子とつきあってるわけじゃないんだろ?」
「んーーーまぁくされ縁ゆーか・・・」
 朝の退屈な1時限目は科学でグループ授業だった。同じクラスで同じグループの藤村と笠井は同じつっこみ同志ではあるのだが、まあつっこみ同志であるのである種の気が合う。
「水野自身が自分で電話するなり、手紙書くなりすればいちばんいいんだろうがな」
「あーそりゃ無理やわ。タツボンそーゆーとこ気ぃ回らんから」
「だからって藤代っていうのは人選ミスだと思うぞ。あいつはそういう地道な探偵活動みたいなこと、かんっぺきに向いてないんだから」
 派手なアクション映画もののスパイみたいなことだったら喜んでやるだろうが。
「まあ小島ちゃんも今頃そのへんは後悔しとるやろとは思うわ・・・」
 水野に妙な虫がつきそうになったらすぐ連絡すんのよ! ともの凄い剣幕で藤代をシメ上げた彼女は、あの筆無精の藤代に月に2度の報告書提出を義務づけたのだという。
 しかしながら、3回目の報告にしてアレである。
 『勝ったぞ』
 誰が? 何に? てゆか水野のことは?
 遠い異国の地で、筆ペン一本書きのハガキを前に頭を抱えている小島有希の姿が浮かんできそうだった。
「多分・・・そのうち手綱つけにくるやろとは思う・・・」
「手綱」
 なんだそりゃ、飼い犬か?
 おお、東京モンらしいツッコミやな。
 別に確信があって言ったことでもなかったので、軽く応じておいた。
 そんな初春の、1ヶ月後。


 久しぶりに集まったナショナル選抜の試合。
 ゲートを抜けてさあやるぞと背伸びした瞬間。
 「やほー」とばかりに手を振る美少女の姿を目にして、シゲは凍り付いた。
 うわあ。手綱がきた。
 背後では何も知らぬ気に、10番背負った少年が「あれ?小島?」とか笑っている。
 ポチ2号決定。
 フィールドを吹き抜けた風がなぜか身に痛い、よく晴れた夏の日の午後だった。