「俺はお前のことは嫌いだが、実力は認めている」
幼い頃から言われ慣れた一言に、彼は「わかっている」と短く答え、さらに余計な一言を付け加えて相手の神経を逆撫ですると、フィールドの定位置についた。
そう。
自分が同性の反感を買いやすい質であることを、彼は幼い頃からよく知っていた。
しかしながら、その理由についてはと言えばまあこんな物言いをしてしまうからだろうなというぐらいにしか理解していなかった。
実際のところそのあたりの自己評価をもっと具体的に検討していれば、彼が「同性には」嫌われる理由はすぐ判ったに違いない。
彼自身気付いていないことではあったが。
そして、校内の誰もが気付いている事であったが。
天城燎一は、女にもてた。

考えてみれば、彼がもてる理由などいくらもあった。
まず、金がある。彼自身がそれをことさらにひけらかしているわけではないが、金持ちの家に生まれつけば自然身の回りは金がかかる。制服はオーダーメイドだったし、時計なんかローレックスだ。
なんのかんの厳しい事をいってもほんとのところ、天城さんちのお父さんは一人息子に甘かった。
そのうえ、見映も悪くない。ハーフっぽい顔立ち(後に本当にハーフだと判明するが)は彫り深く、色素の薄い髪も中学生離れした身長もポイントが高い。
喧嘩沙汰の絶えない割に、立ち居振る舞いはしつけられていて優雅といえなくもないし、有能な家政婦のおかげで常に服装は清潔だ。
唯一欠点を差し引くとすれば、そのあまりにも凶悪すぎる眼光だけだろう。
ご近所のドーベルマンと眼ツケして勝ったとか、ヤクザと喧嘩して病院送りにしたとか、歩く人間凶器とかいろんな噂の絶えない彼だったが、半割がたが真実であると誰もが知っている。
同性異性問わず、初対面の人間が彼に抱くイメージは「なんとなく怖い」であり、いくらかつき合うにつれて「本気で怖い」に変わり、もうちょっといくと「近寄らない方が身のため」になるのだが、さてその頃になると、同性と異性で評価が別れてくるのが彼、天城燎一という人間であった。
「キレたらゴジラより怖い」天城燎一は、実のところ女子供と年寄りにはガメラ並に親切だった。「見かけは怖いが実は人類の味方」というアレである。
そして彼にとって「守るべき人類」とは、「自分より弱いもの」として明確な線引きがあった。
『坊っちゃま。女性には優しくしなくてはいけませんよ』
『坊っちゃま。お年寄りには親切にするんですよ』
乳母かずえの道徳教育はいささか時代遅れの感はあるにせよ、「古き良き日本男児」の育成コースとしては完璧だった。
幼い頃から母親がわりの彼女の教えは彼にとっては絶対律である。
水野竜也のそれが生きる上で身についた経験論的処世術だとするならば、彼のそれは純粋な培養教育の成果であった。
重いものを持っていれば手を貸してやり、背の高いところの片付けは進んで引き受け、他校生にからまれていれば喧嘩してでも逃がしてくれる。
そういうことが何度かあるうちに『天城くんって意外と優しい』という評判が女子の間では上がっていた。そしてこの『意外と』というのがこの場合、重要なポイントとなる。
木の葉の中に木の葉が混ざっていてもなんということもないが、オオカミの群の中に羊が混ざっていたら確実に目立つ。ましてこれに「私だけが知っている」という稀少価値が加わると羊の値段はさらに上がるのだ。
さながらマニア受けするレアもののテディベアのように、天城燎一の市場価値は本人だけが与り知らぬところで、勝手に暴騰していた。
そして表面化するところの「お前なんかキライだ」という同性からの反感は、つまるところモテない男の僻みであった。
異性からの好感度と、同性からの反感度はほぼ99%の割合で比例する。
有史以来変わらぬ法則の、彼は適用者であった。
そんな彼が国部二中サッカー部で(彼なりに)おとなしい理由はもちろん、武蔵野森での教訓が生きているわけなんかではなく、入部届けを出しにいった際に「僕がコーチの雨宮です」といって立ち上がった彼の、引きずる右足を見たがためだった。所謂「身体の不自由な人」もガメラ天城にとっては「守護すべき人類」の範疇である。
その後、渡欧した彼の家族構成はがらりと変わり、自分より背が低くて小太りの善良そうな義父と、優しくて涙もろい母親と、幼い妹という彼にとってみれば「被保護者だらけ」の環境になった。
「見かけは怖いけど優しいお兄ちゃん」に妹は大満悦で、数年後に遊びにいった風祭の前で「うちのお兄ちゃんは強くて優しくてかっこよくてまるで天使様のよう」などとのたまい、さしも善良な彼の目を白黒させたという。