「お嬢ー! モデルやらへん? ボランティアで」

 夏休み期間突入1週間前。
 計ったようなタイミングでかかってきた電話は卒業以来一度も顔を合わせていない「赤の他人」、藤村成樹からだった。
 同じ部活だった、というだけで接点などなかった(と私は思っている)はずなのに、どうして人の携帯電話の番号を知っているのか。
 この男の無駄に広い人脈について今さら追求しようとは思わないが、勝手に番号をばらされた身として多少の腹は立つ。
 まして用件がコレときてはなおさらだ。

「人をタダでこきつかおうとはたいした度胸ね、藤村成樹。なんでこの私がこのクソ熱い時期に京都くんだりまで出かけなくちゃならなくて? あいにくと今年はイタリアの避暑地で過ごすと決めていますの。貴方ごときに割く時間は1秒たりとてなくってよ!」
 負け惜しみではない。本当のことだ。
 父が買ったイタリアの別荘は去年改築したばかり。
 せっかくだから行ってみてはどうだと勧められ、その気になったところだった。
 何人かの友人に声をかければ同行者は集まるだろう。暇と金をもてあました学友たちは誘われれば受動的に受け入れる人間たちばかりだ。
 これが小島有希ならサッカーやるから駄目か、サッカー見られるなら行く、と見事な主体性を見せるところだろうが。

「ふっふっふっ」
 がっかりして電話を切るかと思いきや、受話器の向こうから聞こえてきたのはしてやったりといわんばかりの不気味な笑い声だった。
「もちろん、それは折込済みや。お嬢、出発予定は補習講義が終わった2週間後やろ?」
「2週間の補習講義は休む余地なくみっちり詰まってますわよ!」
 自慢できた話ではないので、口にすればますます苛立ちが増した。
 補習を休ませようというならできない話だ。
 いくら出来の悪い娘でも留年だけは両親のためにも避けたいところ。
 つまりこの男のために割く時間は全くない。うん。

「やーかーらー。イタリア行くんは2週間後やろ?」
「…………………そうだけど」
 肯定の返事をするのにしばしの沈黙を要した。
 他人の揚げ足取りではこの男の右に出るものはいなかった、中学時代を思い出して。
「ちょうどうちの新作ができるんがその頃やねん」
「イタリアを諦めろと?」
「お嬢、イタリア語できるんか?」
「………………通訳くらい雇いますわよ!」
「俺はこう見えても話せるで。何度か遠征試合行っとるし、向こうに支店出したんで勉強したんや」
「………………支店?」
いやあな予感が増した。
「せや。ミラノ支店」
「…………………………ミラノ」
 さっきから耳にしたくない単語ばかりオウムのように繰り返している。
 聞き間違いだと、思いたい。
「お嬢の別荘、コモ湖のあたりやろ?」
 どうやって調べたのかなど愚問なのだろう。この男の無駄に広い人脈以下略。
 ちなみにコモ湖はミラノ郊外約50kmの地点に位置するイタリア有数の別荘地である。

「イタリア観光はまかせとき?」

 既定の事項のように、男はしめくくり、ほしたらまた連絡するわーとこっちの返事も聞かずに電話は切れた。
 電話の向こうではさぞかしタダでモデルを確保した己の才覚に酔いしれていることだろう。
 そういうときの藤村成樹の顔は、記憶をたどるまでもなくよく思い出せる。
 幼い頃読んだイギリスの童話に出てくるなんとかいう猫にそっくりの顔だ。

 不思議なことに、電話が切れてしまえば嵌められた事実などもうどうでもよくなっていた。
 夏休みの楽しみがひとつ増えたと思えばいい。
 アルバイト一つしたことのない身でモデルとして働いてみるのもいいかもしれない。
 通訳も雇う手間も減った。
 久しぶりに会うあの男の変化をこの目で確かめてみるのも悪くない。

振り回されても不快ではない。
卒業以来連絡ひとつなく、消息を聞く伝手すらなく、今さら電話をもらういわれなどなく。
それでも久しぶりにかけてきた電話は何故か毎日顔を合わせている学友たちより親しげで、懐かしいなどと感じる余地もなく、気付けばすぐ傍らにいたかのような錯覚すら抱かせ、全てを許容させてしまっていた。
彼女にとっての藤村成樹は、そんな、彼女自身すら知らない位置に存在する不思議のひとつだ。

<了>
高柴様主催:2007年シゲマイフェスタ初出