見上げる視線の先にいる人だった。
 自分の方が背が高いはずなのになぜか。
 いつも、いつも、思い出す彼女の背中はなぜか見上げる位置にいる。
 だからだろうか。
 今でも空を仰ぎみる度に、彼はその青の中に彼女の姿を映してしまう。

 久しぶりに帰った故郷は残暑の名残厳しいとはいえ、少し高くなった空が夏の終わりを告げていた。
 思い立って、近所の山に上る。
 彼の実家は、京都の中でも紅葉で有名な寺の近所にあり、観光客で賑わう表参道とは別に、配達や寺社内に住まう人たちが利用する裏道は、急勾配の石段が続いている。
 休みの日でも手放せないサッカーボールを足元で遊ばせながら、トレーニングがてらと上ってみたのは子供のころもよく走ったその裏道だ。
 背の高い木に覆われたその道を、上りきった先に広がる空が、彼のお気に入りだった。

 夕方の風が、皮膚に心地よい。
 見上げた空は、まだ到底届かぬ高みにある。
 思えばこの空に、少しでも近づきたくて、幼い彼は一人でよくこの道を駆けたものだった。
 見下すためではなくて、見上げるために。

 顔を上げて、その青を映す。
 澄み渡り、雲ひとつない晴天だった。
 そして思い出すのは彼女の後ろ姿。
 いっしょに帰った帰り道、揺れていたセーラーの襟。
 そっけなく、意地っ張りな彼女は思い出の中ですら、こちらを向いてはくれない。
 それでもその背についていけば、迷いのない場所に行けそうな、そんな気がしていた頃もあった。
 彼がまだ弱くて、ずるくて、逃げ回っていたばかりの頃。
 逃げない彼女の強さに憧れて、その背についていきたかった。
 だから彼女は振り返らなかった。
 高飛車な態度だから誤解されることが多かったが、彼女は自分に厳しい人で、その分他人の弱さにも容赦がなかった。何事にも本気にならないようにして、殻に閉じこもって生きていた彼のずるさや臆病さも、きっと彼女は知っていた。不思議と見抜かれてしまうあの強い視線。思い出すたび後ろめたさにまた逃げ出したくなる。だから思い出すのはいつも後ろ姿なのだ。
 情けなくて、泣けてきて、笑ってしまった。
 だから、彼女は振り返ってはくれない。思い出の中ですら。
 こんな情けない男のことなど歯牙にもかけずに、とっとと行ってしまって。
 今もきっと、一生懸命立ち向かっているに違いない。何かは分からないけれど、彼女がこれと決めた何かに。

( また、会いたいなぁ・・・ )

 今はもう、なんとか逃げ出さない道を選んだ自分だから、もしかしたら今なら、彼女の横に並んで同じ景色を見ていられるかなと思う。追いかける位置ではなくて、いっしょに歩ける位置で。
 あの強くて、きれいな瞳をのぞきこんで、その中に映る世界を見てみたい。
 
 見上げれば蒼穹の中に、一筋の飛行機雲。
 吸い寄せられるように、立ち上がる。
 いつかまた会えるなら、こんな空の下がいい。
 抱きしめたまま、この青の中に、溶けてしまえたらいい。
 思い出の中の彼女はいつもこんな風に、俯いてばかりの彼の顔を上げさせる。
 

奥菜様主催:2006年シゲマイフェスト初出