なぜ14番目が現われたのかについてその回答は伯爵からも明らかにされていない。

ノアは13人だ。それで全部でそれが必然だ。そのように説明されていた。何故13かという点についてはきとした根拠は説明されなかったにせよ。
ノアの遺伝子を受け継ぐものは13。そのように規定したのは伯爵であり、それを広めたのは伯爵の造りだしたAKUMAたちである。彼らと表と裏で繋がった教団にもやはりそのように伝えられ、いつしかそれが定説となった。
ノア一族なるものが最初に教団の正史に――そしてブックマンの記録にも――登場したのは16世紀の始め。教団が、現在では”異端者狩り”として悪名高き「検邪聖省」の廃止を決定した時期と重なるように、彼らはその記録に姿を現す。組織が組織として成り立つための格好の生贄として。
すなわち絶対的な”敵”、組織の求心力を高めるための”敵”、人類の脅威であり教団によって倒されるべき”悪”の存在として。
神に対する魔王、天使に対する悪魔が対を為す存在意義となるように、教団という人間組織にはやはり物理的に相対する存在が必要だったのだ。当初は異端者、異教者という存在がそれを肩代わりしていたが、それらは教団が政治的・軍事的にも権威をつけはじめるにしたがって、”敵”たり得なくなった。むしろ弱者故に人々の同情と教団への反抗を煽る結果となった。故にその代替として、教団側はこれまでひた隠しに隠していた最大級の禁忌を、聖なる記録に登場させたのである。
彼らの存在意義を、現代まで存続させるための切り札として。
その対抗馬としてのエクソシストとともに。
すなわち、ノア一族は、半ば教団側の都合によって恣意的にその脅威を喧伝されていた。
彼らの存在自体は今も昔も変わりないにもかかわらず。
彼らは昔から”いた”し、これからも存在し続ける。それが何の意味を持つのかは伯爵と、彼らが仰ぐ”真なる神”のみぞ知ることであろう。
歴史のスポットライトをあてられてはや300年、彼らは未だ絶える気配を見せない。実のところ絶えられて困るのは教団の方である。現場レベルではともかく中央庁の奥の奥ではそう考えている。狐がいなくなればその猟犬も、その猟犬を飼う猟師も必要ではないのだから。まして科学の発展とともに信仰自体が大きく揺らぐ現在の状況下では、伯爵とAKUMA、そしてノア一族だけが彼らの明確な存在理由であった。
だが伯爵と、その僕であるAKUMAたちはともかく、ノア一族自体について教団側が本気で脅威を感じているのかといえば、真なるところで答えはノウなのである。

なんとなればノア一族はたった13人。
個々の1人1人が、数千人に匹敵する能力を有していようとも、人数としてはたった13人である。
物理的にもそれ以上は存在しないし、それ以上増やすこともできない。そう決まっている。
それが当の敵、伯爵からもたらされたものだったとしてもそれは信じるべき筋としてこちら側に伝えられた情報である。
13人では到底組織とは呼べない。
対する教団側はといえば末端から実動部隊であるエクソシストまで合わせて数十万人の規模を誇る。
組織には組織でなければ勝てない。それは歴史が語る真理である。
絶対的な力を有する個人によって、どれほどの被害を被ったとしても、組織が組織として存在する以上、個人レベルの抵抗には限界がある。すなわち個人の存在はせいぜいが100年だが、組織はそれが世に必要とされる限り永劫に存在しうる。ノアは本質的にその身体は人間のものなのだ。生まれ落ちた当初は人間として存在し、覚醒と呼ばれる過程を経て始めて”ノア”が顕現する。であればたとえノアといえど生まれ落ちた瞬間の赤子にどれほどの脅威があろう。
いや、問題なのは命の長さ云々に関わらない。さながら預言者の誕生を畏れた狂王ヘロデの如し。ベツレヘムの悪行を例にとるまでもなく、感情と理性と意志が一人の人間の中で存在するのと、組織――王といえど国家という一つの組織の中ではまた代替可能な駒にすぎない――の中で存在するのとではわけが違う。その所業が自分一人に跳ね返ってくるのと、自分を含めた”誰か”に跳ね返ってくるのとではまったく異なる。個人が組織に勝てない、それが根本の由縁である。

従って教団にとって真に脅威なのは組織化されたAKUMAの集団と、その頭目の伯爵の方だった。
本来人間への殺戮本能しか持たぬはずのAKUMAの進化であり、これまでずっと歴史の裏に隠れてきた伯爵が表の世界へと姿を現しはじめた、そのことの方がよっぽど大事なことだった。
ノアそのものについてはとりあえずうっちゃっておいても差し支えなかったのだ。
14番目が現われるまでは。

さて問題を戻そう。ノアは13人である。
そう決めたのは伯爵だ。
14番目がこの世に現われたとき、教団側はその事実について何度も調査の上、とうとう内通者を通じて当の伯爵に事情を問いただしさえした。
結果として伯爵側からもたらされた回答は「UNKNOWN(我関せず)」。
伯爵にも分からなかったのだ。
ノア一族は伯爵が見いだした存在であり、その存在する意味についても伯爵なりの答えを得ていた――つもりであった。何度も覚醒に立合い、その死も、生も目にしてきた。ノアと言えど万能ではない。イノセンスによってその存在を消滅させられたことは何度もある。
だがその度彼らは新たな生を得てこの世に戻ってきていた。。
真なる神の使徒。
そのように位置づけるに至ったのはあくまで伯爵が長く観察してきた故の経験則ではある。
即ちノアは、何時の世にもいた。
伯爵に見いだされるよりも前から、この世界に。
だが、伯爵が彼らを己の陣営に引き入れるよりも前にノア一族が歴史に名を残した形跡は見当たらない。
個人レベルで語られる奇跡が、僅か一部の地方にその名を残していたとしても、それはノアとしてものではない。
伝わるのはあくまで”人間”として生きた方の名である。彼らは自らの意識を、記憶を、その奥底に封じ、ごく普通の人間としての生を全うした。知られれば世界からつまはじきにされるだろうことが彼らには分かっていたのだ。
何も知らない市井の民として振る舞い、生き抜くことを選択してもよかったのだ。伯爵によって歴史の裏舞台に引きずり出されさえしなければ。

 

14番目の存在と選択は、伯爵にとっては青天の霹靂であったが当のノア一族自身にとってはさほど驚くことではなかった。
同じノアの遺伝子を引くものが、異なる陣営に属することを選んだ点については嘆き、怒り、悲しみはした。
けれど伯爵とは違い、それが不可能だと断じることはできなかった。
彼らは伯爵によって、「ノアの遺伝子を受け継ぎ、その覚醒を果たしたもの」として定義づけられていたが、科学の観点から厳密に言うならばそれは「遺伝子」ではない。1800年代にメンデルによって発見された「遺伝子」なるものの正体は、まだこの段階でははっきりとは証明されていない。この時点での遺伝子の定義とはすなわち「親から子に伝えられる形質を決定づけるもの」である。彼らはノアの子供ではなかったし、ましてその血肉を一片たりとも分け与えられたわけではない。彼らが知るのはノアという何千年も昔に死んだ男の「記憶」であり、「意志」である。
記憶も意志も、遺伝子が伝えるものなのかどうか。ただ、記憶に応じて授かる副産物的な異能の力を証明するに、この段階では「遺伝子」なる言葉が最も分かりやすかった。そういった意味での定義付けであった。
つまり当のノアたちにとってそれが遺伝子のせいだろうと、単なる脳の障害だろうと、あるいは人類の及び知らぬ神の思惑のせいだろうと、それが自分たちにとって絶対的なものというわけではなかったのだ。
選択としては確かに、14番目のような生き方はあり得るし、かつてはそちらの生き方を選んだ者の方が遥かに多かったのだから。たとえノアの記憶がどれほど偽りの神と世界を憎もうとも、自身の立つ位置からつまはじきにされたいなどとは誰も望んでいない。
だが使いどころのない異能の力をひた隠して生きるより、伯爵の側で自由に生きられる方がよい。早くに覚醒した者ほど、その思いは強かったし、ノアの記憶との同調もより大きかった。
14番目はおそらく僅かに残ったノアの人類への思慕が、なんらかのはずみで覚醒したのだろう。
誰も言葉にしなかったが、ノア一族のほとんどはそう考えていたし、それをうらやましいと思うか裏切りだと思うかはそれぞれが受け継いだメモリ次第だった。

ところで伯爵にとっては14番目の存在自体が明確な裏切りであることは間違いない。
彼は己の判断について絶対的に正しいと確信していたのだから。
賢い者ほど自説に固執するものだ。故に14番目の存在はあってはならぬものだった。
これまでの”ノア”は、彼が見いだした当初から偽りの神に対する憎悪をはっきりと表していたし、彼の意志に逆らったことはなかった。もちろん伯爵とてノア一族の全てを知っているわけではない。ノアは明らかに伯爵の知らぬことも知っていた。例えば「箱舟」は伯爵が作ったものとされているが、もともとの原型はノアが所有していたもので、その上に伯爵が魔術的な手を加えた改造品である。従ってノアのみが知りうる不可思議な技術が随所に応用されている。その裏をかかれる形で古い箱舟は14番目にバックドアを仕込まれることとなった。
いったいノア一族には彼の知らないどれだけの秘密があるのか。疑い出せばきりがない。
幸いなことに現在彼の側にいるノア一族はほとんど歳若く覚醒も半端だ。覚醒してすぐの未熟な混乱期に人間世界から隔離し半ば洗脳に近い選民教育を施したおかげでそんな気配は見せないし、たとえ裏切りを考えつこうとも事前に察知できる自信はあった。
だが――仮に彼らが裏切ることがあるとして。
その第一候補に上がる者も、やはり伯爵には心当たりがあった。

「千年公。まさかこんなことのために呼びつけたわけじゃないんでしょう」
何度も言いますけどね、俺は学ねぇんすよ、とロードの宿題を手伝わされているティキ・ミックは今日も今日とて不満顔だ。不満顔でも手伝いはする、そのあたりが家族に対する彼の愛情表現である。
実際気のいい男なのだ。家族を裏切るなど考えもすまい。従って、今のところ彼に逆らう意志は見られない。
ティキ・ミックの覚醒(まだ中途半端なものではあるが)は決して早いとは言えなかった。
彼がノアを自覚したのは14の歳。働いていた鉱山で落盤事故に巻き込まれそこから生き延びんとする際に力が顕現した。だが伯爵が彼に気づいたのはそれからさらに2年後の16歳の時で、それまで彼は自分の記憶も力もひた隠しに隠して(そして時にこっそり悪用して)生きていた。あるAKUMAとの戦闘の際にやはりそれに巻き込まれる形でロードに見いだされ連れて来られた、それが伯爵との出逢いである。もしかして遅かったかとも思ったが案外すんなりと彼はこちらの陣営についてきた。
とはいえそれで完全に人間世界に別れを決め込んだわけではなく、普段は人間の中で仲間に混じって暮らし、必要のある時だけこちらに戻ってくるという二重生活を楽しんでいる。それでどうして人格が破綻せずにいられるのか伯爵にも分からないが、どうやら生来、物事を深刻に考えられない性質らしい。いつかは仲間も殺すことになる、その矛盾についても「ま、そんときはそんとき」という実にあやふやな返答であった。
だが、物事を100年先まで考える癖のついた千年公は本人の与り知らぬところで考えてしまう。

「そのとき」――彼の「そのとき」の決断がどのように傾くのか。
現在までは6割方で「こちら」と彼は見ている。
だが先のことは分からない。

不定見な彼の頭に、「あちら側」に傾かせる何かが加わればどうなるか。
なぜなら、長く長く人間社会を観察してきた賢者の目は、歴史を変える瞬間の真理を知っているからだ。

最後の晩餐の夜、最も忠実と言われた使徒に銀貨30枚を手に取らせたものはなんだったのか。

暴虐の皇帝の迫害から一度は逃れ、再起を図ろうとした男の足は、なぜ磔の道へと踵を返したのか。

揺るがぬと見えた体勢の中、その一点をうがつようにして全ての流れを逆行させてしまうその力がどこから来るのか。

それは利害や損得を図り抜いた謀略からではない。欲望による支配、狂信故の傲慢、愛憎や復讐、尊厳を踏みにじられる恐怖と怒り、それらを支える数多の権力や暴力からではない。長く虐げられ服従を強いられた末の反動からでもない。
それら全てを含みおいた上での歴史のうねり、その中にたゆたう個人に、やがて業火となる松明を掲げて立ち上がらせるのは。

理由などつけようもない。言葉になどできない。できぬからこそ捨てきることもできない。

その瞬間己の中で訳の分からぬまま渦巻いた――衝動、だけなのだ、ということを。