意志を持ったとあの女は言った。
傀儡として生き、自由になって死んだ女の最後を聞仲は確かに看取った。
涙を見たような気がする。
なぜ泣いていたのか、彼にはわからない。
それだけが今の彼にとっての謎だった。

『聞仲様。見つけて参りました』
主のために崑崙に戻っていた黒麒麟は帰ってきたときには一体の狐の死骸を抱えていた。
死骸というにはあまりにも原型をとどめぬそれは、強い熱線によってまっぷたつに割られ、焼け焦げ、ただの炭の固まりにしか見えなかった。
『聞仲様。いったい何のためにこんなものを?』
黒麒麟の声も届かぬかのように、聞仲は黙ってそれを見つめている。
ただの狐の死骸だ。どこもあの女と似ていない。
「……まあ、よいか」
『何がですか?』
その問いにも答えず、聞仲は木剣で地面に穴を掘り始めた。
その周囲にはいくつもの白い石塔がある。
かつては花を供える者も後を絶たず、春と秋には盛大な慰霊祭も行われていたこの場所も今は訪れる者なく、廃墟以上に寂れた場所となりはてていた。
しかし今の彼にここ以上にふさわしい場所などなかった。
殷の王族の墓所。

最後の墓は彼の住まうささやかな庵にもっとも近い場所に作った。
必然それは他の墓所からやや外れた場所になる。
殷の、最後の王妃の、墓所。
今一人の王妃の墓所は、殷の最後の王の墓所の隣にある。
王子二人の墓を間にはさんで。

最後の王妃の墓所は、誰にも寄り添わぬ場所に作った。
それにふさわしいだけの所行をこの女はした。
彼から殷を奪った女。
傀儡としてしか生きられなかった女。
怨嗟を糧に意志を得て、それ故に死んだ女。
もうこの女のことを思い出す者はいない。自分の他には。
憐れみなのか感傷なのかわからない。けれど既に憎悪すべき理由がない。
許そうとしていることが許せなく、自らが慈しんだ者たちへの裏切りのような気がした。
ただ奇妙な同胞意識が今の彼を責めている。
(殷を、操ってきたのは私も同じことか)
欲望のためであれ、託されたもののためであれ。
この女は死んで、自分は生き残った。
それだけで憎む理由がもうない。

そんなものだったなどと。

今更認められない。

刹那、
彼の中で、激しい風が吹いた。
理性を、意志を、背後に立つ墓標に眠る者たちの声を掻き消す何か。轟音とともに崩れ去った何か。
こみ上げた涙。いや違う。泣いていたのはあの女だ。私ではない。

私ではない。

「……一応、おまえも殷の王妃だからな」

かつてあれほど憎悪し、排斥しようとした女の墓に、言い訳するようにつぶやいて、滅んだ王国の墓守はその墓標に背を向ける。