「結局それはないものねだりだよ」
[七姫物語//クロハ&ヒカゲ×カラ]
立ち並ぶ露天、宮都市となって初めての戦を控え、行き交う人々の足取りも少し慌ただしい。浮き足立った喧噪の中で、彼は目当ての品につけられた値段を注意深く観察した。
中央から遠く離れた自治都市は、七宮の加護を頂いてさらに独立不覊の気風を高めつつある。便乗商売の商人根性もますますたくましい。
元が農産豊かな土地なのでさほど影響がないとはいえ、嗜好品の類いはやはりやや高騰しているようだ。眺めてばかりいてもしょうがないので、彼はとうとう諦めて、それでもできるだけつやのよいものを選んで7つばかり買い求めた。
腕に一抱えのトウキビ。
黄金色に輝く粒のそろった太めの種は、宮姫に献上してもおかしくない名産地の高級品だ。
今度はちゃんと塩で茹でようと彼は勘定を渡しながら過日の失敗を戒める。
落ちかかった日がぼんやりした影を作る刻限だった。
雪祭を迎える大気の中、空は四季世の中で最も移り変わる色彩を濃くする。
彼誰刻の夕闇もまた薄青紫の色。
「今日はアイツはいないぞ」
つぶやいた一言は、もちろん、目の前の露天商への言葉ではなかった。
背後にたたずむ人影が薄く笑った気配。
誰なのか問うまでもなく、彼は振り返らない。
彼女の影を背中に感じながら、支払いの終わった客に興味を失った店主がいなくなるのを見計らって彼は踵を返した。数歩遅れて影もついてくる。
しばらく黙って歩を進めた。
「何の用だ」
人通りの消えた府中の外れ、故意に誘導した場所で彼は背後の彼女に問うた。
「貴方は彼女の前以外だと随分雰囲気が変わるのですね」
振り返らない彼を気にした風もなく、静かな声はむしろ感心したような口調だった。
「何の用だと聞いている」
静かに殺気を込めると、彼は視線だけを背後に動かした。
相手を目ではなく気配で捕える彼にとって、彼女を視界に入れる意味は大して、ない。だからそれは明確な威嚇だった。
果たして相手は動じた素振りも見せない。
一筋縄ではいかない相手だということがよくわかる。
こんな人気のない場所でも、見えないように手練を潜めさせていることも彼は知っていた。
「貴方をお誘いしようと思って」
どこへ、とは言わず微笑んだまま女は言った。
「俺をか」
疑い深そうな彼の声に相手はいっそう笑いを強くする。
「ええ」
「嘘だ」
「あら」
即座の返事に即座に返すが、芝居じみた声はさして意外そうでもなかった。
「アンタが欲しいのは俺じゃない」
「彼女にはふられてしまいましたから」
「それで俺か」
「ええ」
代案としてもお粗末な話だと思った。ありえないほど馬鹿馬鹿しい。自分とあの姫を天秤にかけるなどと。
彼の沈黙の隙をつくように、相手が言葉を継いだ。
「貴方のような人がいてくださると心強いと思って」
自分のような人間を必要とする、それだけでこの女の本性が知れる。
彼女が誰なのか、明確な意味で彼は知らない。けれど大方のところで予想はついていた。
背後に潜む複数の気配。仕える者を見れば、主の正体は自ずと知れる。
「アンタに俺は必要ない」
言い切る彼には確信があった。
多分、この女には自分のような人間はいくらでもいて、いくらでも取り替えはきくのだ。
それでも自分に声をかけたのは多分、彼自身に価値を認めてのことではなく、彼が彼女のものだからだ。それだけが彼を天秤にのせた理由。
「ないものねだりにはつきあえない」
「私には魅力がありませんか」
いっそ遊女のような言い方で、彼女は彼の怒りを煽った。
もちろんそんな手に乗るほど浅はかではなかったが、なぜだか彼は踵を返していた。
もとより、駆け引きなら相手の方が上手だということは認めている。
「貴方は、私のような人間の方が仕えやすいのではありませんか?」
暗に、彼の正体を知っているとほのめかしてきた。
「彼女は、貴方の本当の役目を知らないのでしょう?」
「知っている」
「そうですかしら」
「知っている。俺が知らせた」
以前、一度彼女の前で、必要なら暗殺してみせるとはっきり言い切ったことがある。もちろん相手はこの女だ。彼女は答えなかった。だが、人を殺した彼に怯えもしなければ嫌悪も抱かなかった。そういうことは割と平気だよと、震える声でもそう言ってくれた。
「確かに言葉通りでは知っているのでしょう。でも本当のところはどうでしょうね?」
「…………」
「彼女の前で、貴方は誰かを殺したことはおありでしょうか?」
殺めた命の重みひとつ。それを背負わせたことは?
つまり自分ならば、本当に平気だと。
そう、言いたいらしかった。
「…………アンタは俺と同類だ」
彼が認めたことは彼女にとって意外でもないらしかった。多分同じことを、相手も思っているからだろう。
だが、後に続く結論は、彼女と彼では大きく異なる。
「同類だから、仕えたくない」
「つまり理解は不要だと?」
「アンタは俺と同じ、闇の中の生きものだ。暗い場所で自分と同じものだけ集めて、それで安心したいだけだ。そんな自己満足にはつきあえない」
「…………」
「だからアンタは、アイツがほしいんだ。あの姫は、そういうアンタでも嫌いじゃないってそう言ってくれるから。でもアンタは」
空の名前を背負った姫は、その高みからすべてを見ている。彼の仕業も彼女の宿業も、野心家の二人の嘘も、流されていった姉姫の哀しみも。すべてを見て、すべてを受け入れて、けれど何も変わらない。移り変わる季節に、時に、色は変わっても、空は空。
「あの姫も、自分と同類にしたいんだ」
そんなことはさせない。
「アンタにアイツは渡さない」
いつの間にかすり替わった結論を、彼女は黙って受け入れた。その証拠に返答がひとつ。
「強敵ですね」
どちらがだ。
怖く笑う女だと、彼は思う。
「よろしいでしょう。確かに虫がよすぎました。貴方ならもしやと思ったのですが」
「見込み違いだ」
「彼女に宜しく」
「伝える気はない」
帽子のつばを上げて、女が初めて、声を上げて笑った。
「本当に、見込み違いでした。貴方がこんなに独占欲の強い方だとは思いませんでしたから」
やや距離を置いた場所から、もう一度、欲張りな女が振り返って言った言葉は、今までの中でいちばん彼の意表をつくものだった。
「もし快諾いただけたら、逃げるついでに彼女を攫ってきてくださいってお願いしようと思ってましたのに」
トウキビを抱きかかえた彼が、一瞬目を白黒させるのをおかしそうに認めて、彼女は去っていった。
最後に振ったその手に、いつのまに摺り盗ったか、トウキビがひとつ。
油断するなと、手旗のように揺れていた。