27.まちがったとしても あとで すべてを聞いてあげるから

[王様の仕立て屋~Salto Finito//織部悠×ユーリア]

 

 『わたしのかぞく』

 

「わたしのおとうさんはしたてやさんです。おかあさんはやっぱりふくしょくかいしゃのしゃちょうさんをしています。
 おとうさんはたいていしたまちにあるじぶんのさるとにいて、おうちにかえってくることもあんまりありません。でもわたしはがっこうのかえりにいつもおとうさんのさるとによりみちしているのであんまりさびしくないです。おかあさんはかいしゃがいそがしいのでかえりがおそいうえに、かえってきてもおとうさんがいないことがおおいのでいつもおこっています。わたしはどっちもどっちかなぁとおもいます。
 おかあさんはびじんでおかねもちでそのうえきぞくなので、むかし(いまもだけど)はとってももててたみたいです。なのに、にほんじんでびんぼうだったおとうさんとけっこんしたのでおとうさんはよくぎゃくたまとかいわれています。
 でもマルコおじちゃんやおかあさんのひしょのマリナさんがおしえてくれたはなしでは、おとうさんがあんまりもてるのでおこったおかあさんがむりやりけっこんとどけにサインさせたのだそうです。それまでつきあってもいなかったのに、いきなりおかあさんがけっこんとどけをもってきたのでおとうさんはびっくりしたそうですが、けっきょくサインしたのでけっこんすることになったのだ、とマルコおじちゃんがいっていました。おかあさんはけっこんするときもおこっていたそうですが、けっこんしたあともおこってばかりだとおもいます。
 おとうさんはめったにいえにかえってこないのはそのせいなのかな。
 だとしたらおかあさんがちょっとかわいそうだなとおもいます。」

 

 などという作文を娘が学校で書いてきたものだから、ユーリアの怒りは心頭に達して怒髪天をついた。

 

「あんたが家に帰ってこないからよこのろくでなし――――――!!!!!」

 

 深夜12時を越えた時刻に夜なべ仕事中の亭主のサルトに怒鳴り込み、久々に始まった夫婦喧嘩(一方的に妻が怒っているだけだが)にご近所の方々はやれやれまたかと苦笑しながら物見遊山で窓辺にたかる。
 案の定、イタリア屈指の服飾ブランドの女社長は髪結い亭主の胸ぐらをつかんで、霹靂をとばしまくっていた。
 とどまるところを知らない罵倒と非難は都合2時間近く続いたが、けっきょく駆けつけた秘書と娘のなだめすかしでなんとか帰って行った。

 

「やれやれまた派手に……」

 

 独立したとはいえ、すぐ隣に居を構えているマルコが狂乱の跡を見渡して言う。
「いい加減帰ってやりなよ。いつもサルトに居ずっぱりでさ。奥さん怒るの無理ないよー」
「馬鹿いえ。あれはユーリアの家で俺のじゃねぇよ」
「そういうの日本式の意地なの?」
「それもあるけどな」
 ヒステリー極まってもさすが服飾ブランドの経営者。肝心の仕立て物や布には被害は及んでいない。そういうところができた女房だなと内心思いながら織部悠は床に落ちた仕事道具を拾い集める。
 マルコも手伝って机や椅子を元の位置に戻しはじめた。彼が独立したのは8年前、織部が結婚したのを機に、である。てっきり女房といっしょに暮らすものと思っていたのにこの偏屈男は高級マンションの暮らしを嫌って未だに場末のサルトを定位置にしていた。
「落ち着かねぇんだよ」
「貧乏性」
 間髪入れずの突っ込みは長年のつきあいの賜物と言える。
 それが本音ではないことは当にお見通しだからこその間の手だ。
 普段ならしばらく居座って柄にもないご忠告&お説教というところだが(生粋のイタリア男マルコは、女性に対するエチケットならこの唐変木より100倍マシだと自負している。血は水よりもなんとやらの言葉通り、ラテン民族の血は日本民族よりも確実に濃いい。なんというか情感レベルで)仮にも亭主としての責任を心得ている日本人が次にどう出るかも分かっていたので片付けが終わるなりおやすみの挨拶もそこそこに退去した。

 

 娘と秘書二人掛かりでなだめすかされても機嫌が収まろうはずのない女社長は自室で一人飲んだくれていた。しばらく前まで秘書であり親友でもあるマリナがつきあってくれていたが、今や彼女もいっぱしの家庭持ちなので若い頃のような長居もできず、いい加減にしときなさいよとありがたい忠告をくれて帰ってしまっていた。
「なんだいなんだい薄情者ー」
 怒りの矛先をずらしながらも独り寝のベッドでむなしく酒瓶を抱えているとあっては百年の恋もの姿である。
 この年でみっともないとはわかっているのだが、ひと月の間に亭主が帰ってくるのは数えるほど、否、そもそもこの家は自分の家ではないという態度がありありと見て取れるだけに取り残されたような淋しさは一方的に募るばかり。薄情者、甲斐性なし、と何度罵声を浴びせてみても暖簾に風。

 

( やっぱり迷惑だったのかしらね…… )

 

 その想いは結婚以来、常に頭の中から離れない。だからこそ決して言えない言葉でもあった。
「はくじょうもの……」
 日本人なんて大嫌いだ。
 織部悠なんて大嫌いだ。
 呪詛のように唱えながらまたグラスを煽る。
 こんな想いをずっと抱えていかなければならないならいっそ
「別れてやろうかしら……」
 つぶやいた一言に力は入らなかった。できないことは百も承知。それができるならそもそも結婚などしていない。

 

「そいつぁ困るなぁ」
 力なく自分を笑った瞬間に後ろから声が聞こえて、ユーリアは飛び上がった。
 なんとなれば扉を開けて呑気な顔をのぞかせているのは当の亭主だ。
「なっ、なによいきなり!」
「てめぇの家に帰るのにいきなりもないだろ」
「帰ってきたことなんかほとんどないくせに」
「まあそりゃそうなんだが」
 頭をかき掻き、ネクタイを緩めてシャツを脱ぐ。
 職業柄か、よれたジャケットでもきちんと手入れしてクローゼットにしまうと、当たり前のような顔をしてベッドに入ってきた。
「なんなのよ」
「うん」
 返事にもなっていないのにそれで充分だろうと言わんばかりだ。
「怒ってるんだからね」
「そうだね」
 それっきりなんの会話も続かない。背中を向けたきりのユーリアについても知らぬふりで隣で眠ろうとしているらしいので余計に腹が立った。
「なんとか言いなさいよ!」
 無視されている自分が情けなくて怒鳴ってみても、相手は気にした風もない。
 しばらくじっと怒りで紅潮したユーリアの顔を眺めた後(見つめた、ではない断じて)おもむろに、腕を伸ばし、よしよしと頭を撫でてきた。
「なによそれ……」
 見れば相手は笑っている。日本人にありがちなアルカイック・スマイル。手のひらの上で踊らされている自分をバカにしているのかとすら思う程、穏やかで腹の立つ顔。だけど甘えてしまいたくなる顔。
 ぼつ、と頭をその胸に埋めた。しかめっ面はそのままに。
「怒ってるんだから」
「うん」
 優しく頭に腕が回される。
「なんで優しいの」
 ヒステリーで暴れて迷惑かけて三度の飯より大事な仕事を遅らせたのに。
「さあな」
「あたしのこと嫌いなの」
 好きなの、とは聞けないからユーリアは答えの分かりきった問いを口にする。
「いいや」
 否定の返事はもちろん彼女を満足させない。それでもそれ以上はやっぱり聞けないのだ。いつもいつも。
 分かっているから彼が口にするのを待つ。いつものように。
「好きだよ」
 ほら、ちゃんと言ってくれた。
 優しい、優しいだけの織部悠。
 それで満足するしかないと、ユーリアはいつも諦める。
 目を閉じて、身体ごと彼に預ける。抱きとめてくれる腕は優しい。優しいだけだ。
「別れてほしい?」
 不意に言ってしまったのは彼に触発されて自分も優しい気分になってしまったからだった。優しくて悲しい。淋しくて幸せ。彼と結婚してからずっと感じてきた矛盾した気持ちだ。
「いいや」
「嘘つき」
「嘘じゃねぇよ」
「あの子のこと気にしてるの? 日本人て子煩悩だよね」
「違うって」
「好きな人いないの?」
 これまた普段は聞けない問いだった。
「アンタより?」
「うん」
「いないな」
「ほんとに?」
「あのなユーリア」
 改まって視線を合わせられて一瞬心臓が跳ねた。
 結婚して何年経っても仕事の時以外はあんまり見ない顔だ。つまり本気の顔だ。
「アンタがどう思ってるかは知らねぇが、いくら日本人でも今時義理や人情で結婚したりはしねぇよ。まして女のヒステリーに押し切られるほど俺ぁ弱かねぇ。アンタは美人でエレガンテでしかも気っ風がよくて情も厚い。そんな女に惚れられて何の不満があるってんだ?」
「じゃあなんで帰ってこないの……」
 思いのほか弱気な声だと思った。そこまで言われてもまだ彼が信じきれない。結局自分は浴びるほどの賞賛と美辞麗句で育った女なのだ。
「それこそくだらねぇ男の意地だよ。アンタは気にせずにここででんと構えてりゃいい。ろくでなしの亭主はできた女房に頭があがらねぇ。世間様の評価は正しいのさ。俺はアンタに頭が上がらない。マフィアに紐つけられた借金持ちの女房になってくれて、あんないい子まで産んでくれた。感謝してるよ。何遍頭下げたって足りやしねぇ」
「別にあたしは……」
 押し掛け女房になっただけで。
「いいんだよ。」
 ふと、優しい顔になって、彼が自分を抱きしめる。意外に強い腕だ。
「アンタが来てくれなかったら、俺からは一生言いだせやしなかったんだから」
「あなたが?」
「うん」
「あたしに?」
「なけなしの勇気で誘ったのは一回だけだったがな。アンタには断られたんで……まあ諦めるしかないかなと」
「……そうだった?」
「知り合ったばかりの頃だよ。顔あわせりゃ仕事の話しかしてなかった」
 そうだったかもしれない。最初の頃は顔を見ればむかついてむかついて。悔しくて憧れて好きになったのはもっと後のことだった。
「好きになったのは多分俺の方が先だよ」
「ほんとに?」
「うん」
 抱きしめられた腕の強さはさっきまでと変わらないのに、ふと息苦しさを覚える。
 胸が震えてどきどきする。こんな気持ちになるのは彼にだけだ。どれだけの男に跪かれても。
「ねえキスして」
「ん」
 言われるがままに口づける、その殊勝さは認めてやってもいいのだが、もちろんそんなものでもの足りるはずもない。
「ねえ」
 ねだったキスが今度は違う場所に降りてきて、預けられた体の重みにユーリアはやっと安堵した。

 

 

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